レンガはどこで〔7372〕2023/06/22
2023年6月22日(木)小雨
雨の朝。梅雨ですきんね。雨が静かに落ちてくる、朝。
ここは物部川の岸。地理院地図でいうとここで、航空写真だとこうで、1960年代の航空写真だと、ここ。つまりここは、土電安芸線が走っていた場所であり、このレンガ積みは電車線路の橋台であった、ということになります。レンガで積まれた橋台。土木工学の進展で、今はもう、なかなか見ることがなくなりました。
どうでしょう。見事なイギリス積み。レンガの積み方については過去、幾度か書いたので、ご参照ください。で。
昨日、石積みについて書きました。いろんなところにいろんな石積みが見られるけど、基本、その土地土地で産する石が多く使われる、という話ね。物部川氾濫原の家には、川石の石積み。
そんなことを書きながら、明治から昭和初期に多く使われたレンガ積み構築物のレンガって、どこで調達されたものなんだろう、と思った訳ですね。昨日からそれが気になって気になって、夜も寝られない。大好きだった春日三球さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
レンガの産地の話です。そう言えば、高知工科大学。あの美しい建物を建てる際、イギリスから運んできた、てな話を聞いた記憶があり、調べてみました。こんな感じ。建設工事事務所の所長が3度イギリスに出張し、交渉、確認して直輸入してきたレンガが使われているのでした。なかなか、りぐっちょります。そう。あの素敵なレンガはイギリスから運んできたもの。その数80万個。
では明治から昭和初期にかけての日本のレンガはどうしたものか。運んで来た訳は、ない。日本で焼成したレンガが使われたのは、言うまでもありません。
ではそのレンガはどこで焼成したのか。
その黎明期に登場するのは富岡製糸場。世界遺産の富岡製糸場は、立派な赤煉瓦で建てられてます。フランス積みやねー。そのレンガは、富岡の隣町につくられた窯で焼かれたんだそう。70万個。工科大の方が多いんだ。
で、その15年後に渋沢栄一が設立したのが「日本煉瓦製造」。機械式煉瓦製造工場ね。そこで焼かれたレンガ720万個が、東京駅の「構造用」レンガに使われたと、ここに書いてます。外壁の化粧用レンガは「品川煉瓦」などで焼かれたそう。
そうか。構造用のレンガと化粧用のレンガ。当時から、そんな考え方があったんだ。と、すると、高知工科大学のレンガは構造用に使われたとは思えないので化粧用なのか。
でもここ、土電安芸線の橋台に使われたのは、構造用の硬いレンガだったんだろうと思う。粘度や頁岩などを混ぜて焼成するレンガ。沖積平野も多い高知には、良質の粘土もあっただろうし、やはり地元で焼いたんでしょうかね。こうなってくると、調べても調べてもわからない。気になって気になって夜も寝られなくなるといかんのでこれくらいにしちょきます。
さあ、今日も頑張って仕事仕事!