1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

吉野ヶ里の地質、地形、地勢〔7357〕2023/06/07

吉野ヶ里の地質、地形、地勢

2023年6月7日(水)快晴!

梅雨の晴れ間と言うには晴れ過ぎているくらい、晴れた、朝。風が爽やかやねー。会社の、僕の部屋の外のヤマモモの実は、見事に赤く色づいてきました。夏は近いねー。近いといいのにねー。

さて。写真は昨日の新聞。「吉野ヶ里 石棺に赤色顔料」という見出しで、なかなか興味深い内容が書かれておりました。佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、日本でも最大の弥生集落が発見された遺跡で、その広大な集落を二重の環濠が取り囲んでいる、というのが特徴。

ご承知のとおり、邪馬台国九州説の、有力な候補地のひとつ。魏志倭人伝に描かれた邪馬台国はどこか。そして邪馬台国と大和朝廷の関係は。その頃の日本列島の勢力図は。まあ、古代史の中でも一番関心の高い話題でありましょう。

で、今回の発掘は、そんな論争に大きな影響を与えるかも知れないもの。吉野ヶ里が邪馬台国であった、という説の最大の弱点は、卑弥呼の時代の墳墓が発見されていない、吉野ヶ里の最盛期はもっと早い時代だ、という事実。ところが今回の調査でみつかった石棺は、その時代が卑弥呼の時代に合致するかも知れない、ということなので、なかなか大きな騒ぎになっていたりするのでした。

 

これが吉野ヶ里遺跡の公園マップ。で、Googleマップで見ると、こう。今までの調査で、この「北墳丘墓」に有力者と見られる墳墓が発見されてるけど、その時代は卑弥呼よりもかなり早い。さて。今回どんな発掘が行われておるのか。

 

まず、吉野ヶ里の地質、地勢を見てみよう。

これ見ると、筑後川の扇状地の北側に位置します。で、当時の海岸線は今よりもずっと奥まっていたと思われるので、海にも川にも近い場所。地質図で見ると、こんな感じ

で、吉野ヶ里遺跡の衛星写真はこれで、地質図がこれ。見比べて見ると、稲作などをするのに適した扇状地の中に少し小高くなった更新世段丘があって、集落や墳墓は、その段丘上につくられていること、わかります。つまり、人々が暮らすのは、外敵から環濠で守られた、洪水にも強い段丘の、上。

では、地形を見てみよう。今まで、最有力者の墳墓と見られていた「北墳丘墓」が、ここ。このエリアでは一番高い場所やね。その西側、谷を挟んで、小高い丘があり、そのてっぺんに神社。日吉神社。その場所は神社だったので、今まで発掘が為されず「謎のエリア」とされてきてたんだそう。ところが昨年、その日吉神社を、東の住宅地の方へ遷座したのであります。なので今回、発掘ができることになり、ひょっとしたら、と思われてた大きな墳墓、石棺が発見された、という経緯。

地形図を概観すると、この石棺の北側にも甕棺墓列やシャーマンのお墓があったことに鑑みて、そして段丘の先っぽの少し独立した丘であることにも鑑みて、かなりの有力者のお墓であるのは間違いない。しかも、未盗掘だ。

 

今、石棺の蓋が開いたところ。赤色顔料が使われてたので有力者の石棺であることは、間違いない。さて。何が出てくるか。それは、早くて明後日、遅くても一週間以内には調査発表される、ということなので、今が一番楽しい時間なのかも知れませんねー。と、言う訳で、このタイミングで書かせて頂いた、という訳です。

 

邪馬台国論争については、巻向の発掘現場へ行ったこともあります。まあ、専門家でも色々と意見が分かれてて難しいねー。この発掘で、なにかが出るかも知れないし、出ないかもしれない。

どちらにしても、こうやって地形や地質、地勢を調べていろんな妄想するのが、楽しい。

 

良いお天気。今日も張り切って仕事仕事!


←前日の日記2023年06月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2026年

2025年

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  x