更新世段丘と伊尾木洞〔7294〕2023/04/05
2023年4月5日(水)曇り
お天気はちょっと、下り坂。これから雨になるみたい。桜ももう、散ってしまいますねー。桜が散ると、高知はもう初夏。これから夏へと向かい、花粉もコロナも収束していく。と、いいね。
昨日、伊尾木洞の不思議な雰囲気とオブジェのこと、書きました。で、その伊尾木洞の成り立ちについては今度書く、とも書いたですね。書いたです。そんな訳で、今朝、早速、なんであんなにも不思議な空間ができたのか、僕の想像を書いてみようと思います。僕の想像です。専門家の話ではないので、ご注意ください。
さて。「海蝕洞」という地学用語、ご存知でしょうか。かいしょくどう。まあ、文字みたら想像つくと思うけど、海の波によって侵蝕された洞窟、もしくは洞窟みたいになってるところ。ウィキみてみると、こんな感じに書いてて、高知県では室戸岬の「御厨人窟」が紹介されてます。みくろど。弘法大師が修行し、その修行中に明星が口に飛び込んできて悟りを開いた、という伝説がある、洞窟。そこから見えるのは空と海だけで、空海という法名はそこからきた、とも言いますね。「御厨人窟」。
で、以前にも書いたように、空海が修行したころの御厨人窟は、現在よりもずっと海に近いところにありました。南海トラフ大地震のたびに地盤が隆起したことにより、現在の場所になった「御厨人窟」。弘法大師が修行した頃に比べたら、おそらくは6~7m隆起している「御厨人窟」。
隆起する前、波が洗っていた時代に、寄せては返す波によって侵蝕されてできた洞窟が、長い年月の間に、現在地まで隆起してきた、という訳だ。
他にも、大山岬の海蝕洞がありますね。以前、素敵な喫茶店があったところの、波によって侵蝕された岩の風景。あれも立派な海蝕洞。
「御厨人窟」も、大山岬も、砂岩などの岩石が波によって侵蝕されたもの。それが普通の「海蝕洞」。
ところが。伊尾木洞も海蝕洞やけど、ちょっと違うのであります。この地形分類図をご覧ください。そう。ここで波によって侵蝕されたのは、岩石ではなく、更新世段丘。数十万年前に浅海底で堆積し、海水面の低下と地盤の隆起によって上がって来た、段丘。つまり、岩石ではなくて土だ。更新世段丘が波によって侵蝕されて洞窟ができ、そのまんま隆起。さらに川によって侵蝕されて、他に例をみないこんな不思議な空間ができました。と、僕は想像するのであります。
嘘かホントかは知りません。が、そんなには外れてないと思ってます。外れてたらごめんなさい。
幾度も書いてきたように、赤野から室戸にかけての海岸段丘は、更新世段丘が隆起したもの。その隆起の理由は、300万年前にフィリピン海プレートが太平洋プレートのスラブにぶつかって西方向に進み始めたから。それが、更新世段丘を隆起させ、伊尾木洞の不思議な景観をつくりあげたのだとしたら、それはフィリピン海プレートのお陰である。のかも、知れません。いや、妄想です。
写真は今朝、出勤途中に撮影してきた更新世段丘の段丘崖。高知農業高校から後免野田小学校の方へと降りてきたところ。左が更新世段丘で、その段丘裾を流れるのが野中兼山開削の舟入川ね。上を通っているのは土佐くろしお鉄道ごめんなはり線。その下に、かつて土電安芸線が走っていた頃の橋台が見えてます。自然地形と過去の歴史を見ることができる場所。更新世段丘は、いつもぼくらの身近に存在します。
そんな更新世段丘が、荒波に洗われる。そして隆起する。いろんな偶然が重なって、不思議な不思議な伊尾木洞ができあがり、「らんまん」のロケに使われた。そんな、お話。