四万十川、渡川、赤鉄橋、四万十川の戦い、渡川合戦〔7237〕2023/02/07
2023年2月7日(火)小雨
雨の四万十赤鉄橋。
久々に中村へ来てます。四万十市中村。中村に泊まったの、いつ以来でしょうか。とにかく久々に、中村の朝。中村と言えば赤鉄橋。赤鉄橋と言えば四万十川。以前、落ち鮎の解禁日に来たことあるけど、この河原にはたくさんの釣り人が訪れてお祭り騒ぎでした。今も、あんな感じなんでしょうかね。
聞くところによると、四万十川河口の治水工事などの関係なのか、海水がかなり遡上してくるようになり、鮎の漁場も、ここよりもうちょっと上流、百笑(どうめき)の当たりになってきた、と言います。自然ってのはなかなかデリケートなので、ちょっとしたことで激変するから、注意せんといかん。
四万十川。いや、元々は渡川と言うてましたよね。1980年代、NHKが「最後の清流」ということでドキュメンタリーやってから一気に「四万十川」という名称が広まって、遂に渡川は四万十川になったのでした。確かに、四万十川という名前でも呼ばれてたけど、ここ中村では渡川だった。河川法上でも、渡川。それが、あのブームのおかげで四万十川という名前が有名になり、遂に河川法上でも「四万十川」になったのが1994年のことなんだそう。まあ、四万十川という名前は、なかなか魅力的だし。
ウィキみると、なかなか興味深いこと、書いてます。
ここ中村は、土佐の小京都と言われ、公家さんの一条家が支配したことで有名やけど、昔から九州方面との関係が、深かったという話。その証拠が、川の名前。
西の、宿毛方面から四万十川に流れ込んでくる中筋川は、昔、向川と呼ばれていた。(九州へ向かう川?)
中村から九州方面へ向かって渡る川が、渡川。
九州に向かって後ろ側になる川が、後川。
なるほど。たしかに、一条兼定は、一旦九州へと逃れたあと、勢力を糾合して渡川まで押し寄せ、世に名高い渡川合戦が繰り広げられてますもんね。その戦場が、この赤鉄橋界隈。
昔から「渡川合戦」などと呼んできたのに、ウィキには「四万十川の戦い」という項目で立っているのは、これもNHKの影響やねー。
もし、あの番組がなかったら、この川は今も渡川だったのでしょうか。四万十市や四万十町は、違った名前だったんでしょうか。世の中、ちょっとしたことがその後の歴史、風景を変えてゆく。
この赤鉄橋、昔は渡川橋で、今は四万十川橋。
四万十川から鮎が減り、海水の遡上で漁場も北へと移っているという歴史、風景。これも、ちょっとしたことが大自然の姿を変えていっている、という事例かも知れない。
小雨降る未明の赤鉄橋で、いろんなこと、考える。
まあ、そんなことより仕事仕事。仕事を始めよう。