水辺の街高知と、柳原〔7195〕2022/12/27
2022年12月27日(火)晴れ!
今年も残すところ、今日を入れてあと5日。昨夜、会社から帰ろうとしたら道の混んでること。そして街の人出も多かった、らしい。コロナはコロナとして、街の賑わいは着実に戻りつつある年の瀬。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
今日街中で仕事があって、お昼の時間、ここで少し時間調整してます。柳原。鏡川の河川敷が少し広くなった場所が「柳原」で、ここではいろんなイベントが行われてきましたねー。
まず思い出すのが「フェスティバル土佐鏡川まつり」。夏の高知の風物詩だった「フェスティバル土佐鏡川まつり」も、2005年を最後に、開催されなくなりました。僕が子供の頃にできたお祭りだったと記憶します。弊社も出店したりしてて、お手伝いしたりアルバイトしたりした記憶がある、「フェスティバル土佐鏡川まつり」。
このにっこりでも、2004年、2005年と触れてて、それは貴重なアーカイブになってしまいました。
ここがイベントに使われるようになったのは、いつ頃からだろうか。「柳原」という名称は、藩政期に洪水から城下町を守る為に構築された堤防の外側に柳を植えたことに由来する、となってます。今は柳もほとんどなくなり、こんな感じで桜の樹が立ち並ぶ、柳原。
この向こうに、山内神社の石垣が見えます。あの石垣は、藩政期の頃のものではない、と、以前に聞いたことがあります。その時は、どうしてそんなことがわかるんだろう、と思ったものでしたが、今なら僕でもわかります。だって、チャートの亀甲積みだから。高知でチャートの亀甲積みが増えるのは明治になってから。だから、あの石積みは、恐らくは明治初期に積まれたものだ。どうでもいいですか?
閑話休題、柳原。そして、幾度かこのにっこりでも書いたけど、この場所で僕が思い出すのは、サーカス。僕が子供の頃、サーカスは、ここへやって来てました。柳原に大きなサーカステントが張られ、その中で、空中ブランコしたり、バイクが球体のカゴの中回ったり、猛獣ショーやったりしてました。サーカスと言えば、ここだった。
こないだ、高知にもサーカスがやって来てたけど、その会場は長浜の競馬場の駐車場でした。まあ、車で行くにはそんなに不便ではないけど、やっぱしサーカスは街中に欲しいねー。
こんな感じで整備されてしまった柳原では、もう、サーカスが開催されることはないでしょう。でも、ふるさと祭りが開かれたり、花火大会が行われたりと、やはり市民に親しまれ続けている柳原。こないだの大雪の日、ここを通りかかったら、大人の女性が1人で大きな雪だるまつくってました。市民に親しまれる柳原。
幕末の慶応三年に、この川原で「のえくり」が大流行し、夥しい人が集まって来て毎夜毎夜賑わった、と言う話を以前にも幾度も書いたけど、やはり、高知は昔から水辺の街なのであります。
水辺で暮らすことの幸せを、今も、ここ、柳原は教えてくれるのでした。