御来屋港、後醍醐天皇、菜食健美〔7182〕2022/12/14
2022年12月14日(水)時化模様
そんな訳で冬の日本海。すごい。太平洋側では、この季節、こんなに時化ている海を見ることってないですもんね。ここは鳥取県の御来屋港。この写真ではわからんけど、港内なのにウネリがすごくて、停泊中の漁船がすごいことになってます。そして、堤防を越えてやってくる波飛沫。
堤防が空いたところに立つと、それこそ立っておれんくらい、吹き飛ばされそうな寒風が叩きつけてくる。すごい。
ここは、左端の標柱にも刻まれている通り、後醍醐天皇御腰掛岩。
元弘の乱に敗れた後醍醐天皇が隠岐に流されたのが1332年。そして翌年の閏2月24日、風雨の中、隠岐を脱出してたどり着いたのが、この港と言われております。他にも説があって、そこは以前訪れたことがあったけど、ここへ立ち寄るのは初めて。ここから東、琴浦町にある大山乳業様に、向かう途中。
元弘3年閏2月24日というと、1333年4月。そう。山陰も、もう春になっていた頃合。冬のこの海を見ると、隠岐から脱出なんぞ不可能に見えますもんね。春になり、時期を伺っていたのでしょうか。
ここの港にたどり着いた後醍醐天皇は、この地元の豪族名和一族の手引きで伯耆船上山にて挙兵。その後、建武の新政、南北朝騒乱、室町時代と歴史が進んでいったのは、ご承知の通り。
その船上山。このにっこりでは、今までに2回ほど紹介してますね。前回は2015年1月。約8年前か。そしてその前は、2004年11月。なんと、18年前。2015年のにっこりに書いた通り、大山乳業様で弊社自慢の青汁「菜食健美」の取り扱いが始まったのが、2003年。2004年は、まだ、弊社ブランドでした。その後大山乳業様の「白バラ」ブランドを冠するようになり、今も「白バラ菜食健美」として、中国地方から近畿地方まで、広く皆様にご愛顧いただいているところです。いや、本当にありがとうございます。最初から言えば、もう、19年。本当にありがとうございます。
大山乳業様にお世話になるまで、この山陰地方に来る機会はほとんどございませんでした。たんまに、観光で来たことがあるくらい。ですが、こういったご縁で、定期的にお邪魔させtいただくようになりました。お陰様で、冬の日本海を体感し、後醍醐天皇の歴史に浸ることができている訳です。
この腰掛岩、火山岩ですねー。弊社のある南国市には、頼朝さんの同母弟、源希義さんの鞍掛け岩があります。その岩は、チャート。その岩の前で希義さんは討ち取られた訳やけど、後醍醐天皇は、この岩で休息しながら戦略を練り、建武の新政へとつなげていったのでした。そんな、伝説のある、岩。
伯耆大山も、伯耆船上山も、南海トラフの沈み込みによる火山フロント。高知とつながりがある、ちゃあ、ある火山。
そして今、青汁によってつながるご縁が、弊社と大山乳業様の間で続いているのでした。
それにしても冬の日本海。すごい。