17年経過して〔7155〕2022/11/17
2022年11月17日(木)晴れ!
帯屋町2丁目。戦前、この界隈は病院や公共施設が多いエリアだった記憶を持つ方は、もう、かなり少なくなったんではないでしょうか。戦後、瓦礫の中から復興したこの街は、高知市民の台所となった大橋通りに隣接することもあって、商店街として発展しました。でも、僕らが子供の頃、この北側にあった追手前小学校に通っていた頃は、まだ病院街だった痕跡があり、現在の金高堂さんのところには木造の大きな病院が、ありました。
病院の横の、店舗兼住宅だった文具屋の息子は追手前小学校の同級生で、その家にしょっちゅう遊びに行き、この商店街を遊び場にしていたあの頃。その大きな病院は旭へ移転し、その跡地にできたのが、ショッパーズ。ショッパーズプラザ高知とかなんとかいう名称やったと思うけど、僕らは普通に「ショッパーズ」と呼んでいた、商業施設。
そこはいつしかダイエー直営の「ダイエー高知ショッパーズ」になり、ダイエーの撤退とともに、建物は取り壊され、しばらくの間空き地になってました。
その空き地のアーケード側には白い大きなフェンスが立てられ、この2丁目の景観を寂しいものにしていたのは、まだ記憶に新しいところ。
2005年11月、つまり今から17年前の、ダイエー高知ショッパーズ最後の日を、このにっこりでもご紹介してます。今朝の写真と同じアングルで。その際、その跡地がどうなるのかについて触れてるけど、結局10年間、そこは空き地のままとなり、2015年にやっと、下が店舗(金高堂さんなど)で上がマンションという複合ビルが完成して、帯屋町2丁目の風景を一変させました。
いつしか僕らの追手前小学校もなくなり、大きな図書館ができました。ごちゃごちゃした住宅地だったひろめ屋敷は、いつの間にか高知観光の核となって、この街もどんどんと変わってゆく。
追手前小学校跡地の西側部分、通称「西敷地」の活用については、結局振り出しに戻った、と、今朝の高知新聞。なるほどねー。せっかくの「追手前小学校跡地」なので、「高度利用」しなくてはならない、という呪縛に引っ張られている感も、あります。別に高度な複合施設をつくるだけが「高度利用」ではない。極論言えば、地元のひとたちがゆっくりするだけの空間であっても、それも「高度利用」かも知れない訳で、ここは今一度、ゆっくりじっくり根本的な議論からやり直すのも、いいかも知れないなどと思うのであります。
この商店街を遊び場として、追手前小学校で6年間を過ごした僕らの願いは、そんなところに、あります。