上黒岩岩陰遺跡の、朝〔7153〕2022/11/15
2022年11月15日(火)晴れ
ここは愛媛県。国道33号線沿い。
昨日の午後、仕事で松山へ行ってました。ホテルはなかなかの人出で、夕刻のチェックインでは並ぶこと40分、という状況でした。ワクチン接種証明で宿泊料金が安くなるという、あのシステムの為に、チェックインの時間がかかっている、とのこと。なるほど。従業員さんも大変だ。並ぶのも大変やけど。
そんな訳で、今朝は松山のホテルを早朝に出発し、国道33号線を高知へ向かっているのでした。四国山地は紅葉真っ盛り。キレイやねー。ここはここ。上黒岩岩陰遺跡。橋の向こうの、2階建ての向こうに見える石灰岩。あの石灰岩の岩陰に、今から14500年前より約1万年間、人類が暮らした痕跡があるのであります。
14500年前というと、最後の氷期、ヴュルム氷期の最寒期から温暖化に向かう途中の時期。瀬戸内が陸地となり、本州と四国が陸続きになっていた時代で、暮らしやすかったと思われる瀬戸内から四国山地を越えて、この仁淀川上流の岩陰で暮らした人たち。
それでも1万年間暮らしたということは、ここが、生計を立てるのに好条件であった、ということ。僕らにはなかなか想像できない、風景。
発掘調査では、なかなか興味深いものも出土してます。石に刻まれた女神の絵。貝や動物の骨でつくった装身具。石器や土器。
たくさんの種類の動物の骨が出てきてて、往時の狩猟の状況を想像させてくれる、遺跡。そして、28体以上の人骨。日本の国土は酸性土壌なので、通常、人骨は、土中に埋まると土と同化してなくなってしまいます。それが1万年以上保存されるには、そこがアルカリ性土壌である必要が、ある。そう。石灰岩。地球上で、古い人骨が出土している地層は石灰岩層であることが多いのは、そういう理由。
あの巨岩がチャートではなくて石灰岩であったことが、ここでたくさんの人骨が出土した理由でした。もし、南国市の奥谷南遺跡の巨岩が石灰岩であったなら、あそこからも人骨が出土してたでしょうけどね。
縄文草創期の遺跡では、ここと同じ仁淀川水系になる不動ヶ岩屋遺跡がありますね。この上黒岩遺跡を利用した人たちと、関係あるのかも知れません。ないかも知れませんが。あの洞窟も、石灰岩層。この上黒岩岩陰遺跡は「国指定史跡」となってて、かなり詳しく発掘調査が実施されたと言います。不動ヶ岩屋遺跡は、今まで、昭和39年と42年に調査されただけ。現代の技術で詳しく発掘したら、人骨も出てくるかも知れんと思ってます。
ともあれ、上黒岩の美しい朝。
当時の植生は、今とは全然違うので、このような紅葉が見られたかどうかはわからない。しかし、谷間から朝日が差し込みはじめる朝、そこに神性を感じた縄文人は、間違いなくここに居たと、想像します。
さあ、はやく高知へ帰って仕事仕事!