レンガ塀修復に残される記憶〔7148〕2022/11/10
2022年11月10日(木)晴れ
今朝の高知新聞、読者の広場に、鵜来島の戦争遺跡のことが投稿されてました。戦争中、瀬戸内海への米軍の侵入に備えた防御施設の数々が、今も、比較的良好な保存状態で残っている、と。しかし、このまま放置していたら、その戦争の痕跡も朽ち果てていくので、今のうちに、貴重な遺跡として保存する方策を考えるべきではないか、という投稿でした。
僕はまだ、鵜来島は、行ったこと、ないです。機会があれば行ってみたいねー。
あの戦争から77年。そういった戦争の痕跡は各所にあるけど、有名なものは別にして、徐々に草木に埋もれたり壊されたりしていっています。そして、覚えている人も少なくなり、記憶からも遠のいていく、あの戦争。
実は、身近なところにも、たくさん残っています。会社の近所にはトーチカがいくつもあるしね。掩体壕は、近年、戦争遺跡として説明板も整備され、地元の子供達にも、そこに何があったのか学習できるようになっていて、良き哉良き哉。
会社の、物部川の対岸にある上岡地区にも、戦争遺跡。グラマンの爆撃で倒された鳥居が、今も、地元の有志の方によって残されていますね。あの神の山、上岡山にも海軍によってトンネルが掘られていた、ということを知って居る人は、どれだけ居るのだろう。
そして、無くなってしまっている戦争遺跡も、あります。例えば、旧高知商業学校の塀にあった、空襲の痕跡。爆弾の破片によって穴が空いた塀は、最近、取り壊されてしまいましたね。塀というものには「塀」という役割があって、いつかは取り壊されたり建て替えられたりするもの。なので、仕方ないけど、そこにそういう痕跡があった事実は、なんらかの記録として残して欲しいと思ったりも、します。
塀と言えば、升形の歯医者さんのレンガ塀。織田歯科医院。大正4年に建てられた素敵な洋館は、空襲でも焼けなかった貴重な貴重な建築物。しかし空襲の痕跡は残っていて、塀に、今も弾痕を見ることができます。
そして、ここからは僕の想像やけど、このレンガ塀の修復跡を見ると、この塀も空襲で破壊され、残ったレンガを積んでなんとか修復したみたいに見えるんですね。そうだとすれば、これも戦争の、遺跡。ひょっとしたら遠い将来、この写真も、貴重なアーカイブになるのかも、知れません。
身近な場所に残る戦争の痕跡。77年前の、歴史。
しかし、上にも書いたけど、塀も、建物も、いつかは壊される運命にあります。その場合は、記録に残していくしか、ない。公共工事で発掘調査が行われた遺跡が、記録だけ残されて壊されてしまうように。少なくとも記録に残して、僕らの記憶に留めておきたい。
鵜来島の場合は、海軍の施設とかなので、壊さないようにすれば、壊れない。しかしそのままだと朽ち果てる。せっかくの貴重な戦争遺跡、なんとかできるといいね。