満月と電線〔7146〕2022/11/08
2022年11月8日(火)晴れ!
本社棟2階から見た、西の空。沈む夕陽ではありません。今朝5時半、西の地平に沈むまん丸お月様。コンデジのシャッター開放で撮ったら、こんなになりました。会社の前を自動車が走り抜けたので、ヘッドライトがレーザー光線みたいになりました。
なんの気無しにこうやって風景を撮影すると、電線、多いですねー。いや、日本の平野は電線だらけ。僕らはこれが当たり前で、逆に電線が無い風景ってのは創造しにくいけど、日本の長い長い歴史の中で電線が出現したのは、ほんの最近のこと。そう考えると、なんか、不思議な気持ちがしてくるね。きませんか?
日本の空を覆っている電線には、電気、電話、インターネット、ケーブルテレビの4種類がある、と、モノの本には書かれてました。で、日本には3300万本以上の電柱があるって、知ってました?つまり、日本人3人に1本の、電柱。どうりで空は電線だらけな訳やね。
電柱って、電信柱というくらいで、最初は通信用の電線の柱から始まりました。明治3年、東京横浜間で電報サービスが始まったというのが、その始まり、鉄道開業の2年前か。東京で、各家庭に電灯が広まったのが1920年頃。つまり、100年前に、やっと電灯が普及してきた訳やけど、それでもまだ、壁にあるコンセントから電気が取れるようになったのではなかったそう。
そんな時代、1922年に、東京目白で「電気の家」と名付けられたオール電化の家を建てて暮らした人物が居る話、以前にも書きましたね。そう。弊社の近く、南国市岩村出身の電気工学博士、山本忠興さんね。早稲田式テレビジョンの開発で有名な山本先生、ご自宅を「電気の家」にして、暮らしたのでした。以前にも書いたけど再掲しますね。使っていたのは電気レンジ、電気オーブン、電気冷蔵庫、電気ストーブ、電気洗濯機、電気アイロン、電気扇風機、電気座布団ときたもんだ。一般家庭にコンセントも無い時代にね。すごい。その家には、電線が引き込まれていたのでありましょう。
大東京に電灯が広まって、100年。ひまわり乳業が創業してから、100年。この100年の間に、電気や通信は、社会に溶け込み、なくてはならないインフラと、なった。それが、この、空に電線が張り巡らされる風景を醸し出しているのでした。
それにしても、電気代、すごいことになってきたね。工場用の電気料金、この8月に劇的に上がったばかりで、今月から再びとんでもなく上がります。これはもう、パンデミック。
夜明け前の電線を眺めながら、電気代、なんとかならんのか、と思うのでした。一刻も早い戦争と円安の終結を、望みます。