景観資源再生事業〔7082〕2022/09/05
2022年9月5日(月)晴れ
と、思ったら、大分県はこんな事業やってました。はい。昨日の話のつづきです。
そう。日本の山って、どんどんと樹木が育って、景観が悪くなっている、という話。僕の経験で言えば、南嶺の鷲尾山。子供の頃からもう何十回、いやそれ以上登ってきた鷲尾山ですが、あの山頂、僕が子供の頃は360度のパノラマ眺望だったと記憶します。今は、南側しか見えんけど。北側の斜面は灌木になっていて、今みたいな森ではありませんでした。
気付いてみれば。高知市近郊の里山で、眺望の良い山って、なかなか、ない。今朝の写真は、本社棟2階から撮影した野市の三宝山で、あそこの眺望はなかなかすごい。すごいけど、今は車ではあの眺望の良い場所まで行けんません。せっかくの貴重な眺望、なんとかしたいね。
今、360度のパノラマが見れる近所の山って、高見山くらいしか思いつきません。
特に都市部に近い里山は、文明開花以前はほとんど禿山のような状態だったと言いますし、ほんの数十年前までは棚田や畑に利用され、樹木も利用されたりしていたので、少なくとも今のような鬱蒼とした森が広がることはなかった。今からは想像もできない風景が広がっていた、里山。
例えば筆山。今は鬱蒼とした森が広がり、その森を歩くと、夥しいお墓があります。無縁墓になった墓石がたくさん転がっているのは、ちょっと道からはずれて斜面を藪漕ぎしてみたら、すぐわかる。
なんとなく、そういう鬱蒼とした森の中に墓所がつくられた、と思ってしまうけど、そうではありません。江戸時代、お墓がたくさん作られた頃の筆山は、恐らくは今の高見山に近い、眺望の良い山だったと思われます。眺望がいい場所に、城下町を見張らせる場所に、墓所がつくられたと想像すると、筆山に身分の高い武士のお墓が多い意味もわかってくる。
そう。現在も、新しくできた○○霊園といった墓所って、だいたい眺望のいいところにありますもんね。筆山山中の墓所も、わざわざ鬱蒼とした森の中につくろうとした訳ではなく、眺望の良い山の斜面につくられたと考えたら、合点がいくではありませんか。
大分県の話でした。
そう。まあ、山中の墓所のこと言い始めたら果てしがないので、取り敢えずは山頂などの、皆に景観が求められているような場所のこと、考えます。で、ネット見てたらこんなページがありました。大分県のホームページ。大分県では、景観を「資源」と表現し、その「景観資源」の再生に取り組む事業をやってました。知らんかったです。なかなかやるね、大分県。
つまり、やる気があればできるし、財源も「森林環境税」が活用できるみたいなのであります。これはちょっと、光明、見えてきた。
もちろん大分のように有名な山とか観光地とかで事業をやるのもいいし、高知なら、まずは里山でやって欲しいと思ったりした、月曜の朝。
窓の外から虫の声。秋の風情を感じられ始めた月曜日。まあ、里山は里山として、そろそろ仕事を始めます。