80年の時空を超えて〔7080〕2022/09/03
2022年9月3日(土)曇り
なんか不安定なお天気。出勤してくる4時頃は結構降ってたけど、その後雨も上がって、無事、清掃活動ができました。第一土曜日は清掃活動の日ですきんね。
ここはここ。この十字の場所。向こうにひまわり乳業の冷蔵倉庫が見えてます。この土地は、こないだまで雑草みたいなのが鬱蒼と生い茂っていたけど、キレイに刈り取られてました。世の中に「雑草」という名前の草はないけどね。来年は牧野富太郎の朝ドラだ。
それはともかく。ここの草が刈られたことにより、ここに捨てられていたゴミとかが見えるようになり、お掃除できました。
そして、ここの草が刈り取られたことにより出現したのが、この石積み。
以前、一度だけ書いたこと、あります。恐らくは第二次世界大戦の痕跡である、石積み。これまでは、少しだけ露出していた石積みが、このように見事に見えるようになりました。この丸石は、太古の昔からの物部川の流れによってできた、角が取れた砂岩。この界隈、当たり前にどこにでも転がっている石。その石を積んで、道がつくられました。
僕が想像するに、それは軍用道路だった。
三島村、立田村、田村が合併して日章村が成立したのが昭和17年のこと。合併の理由は、三島村の広大な農地が海軍に接収されたから。そして海軍は、飛行場と基地を建設し、海軍高知航空隊ができたのでした。その際、地形は無視して、三角定規で引いたような幾何学的な設計が為されたことは、以前にも書きました。1960年代の航空写真見ると、わかるね。その頃には、飛行場は高知空港に、基地の敷地は高知大学農学部や高知高専になっていましたが。
なんでこの道が軍用道路と思ったか。それは、地形を無視した直線道路だから。今昔マップで、昭和33年の地図と戦後の地図を並べてみました。地形を無視した直線道路ということ、わかるよね。戦時中、そんな工事をする権力を持っていたのは、そしてそんな発想をしたのは、軍隊でしょう。
そして、同時につくられたのが土電安芸線の、日章駅。場所は、ここ。Googleマップで見ても、かなり広い駅だったことがわかるので、鉄道で運ばれてきた軍用物資を積み下ろしする為の駅だったと推察できます。そして、その日章駅と航空隊との間をつなぐ道がつくられたのでありましょう。日章駅から緩いカーブを描いて弊社前まできて、あとは真っ直ぐ飛行場へ。軍用トラックが往来した、道。この僕の想像は、たぶん間違っていないと思う。確認した訳ではないけど。
で、この石積みは、その軍用道路が、日章駅からカーブを描いて南へ向かう場所。この石積みの雰囲気からして、昭和17年か18年頃、道路をつくるために積まれたと想像します。
そうだとすれば、これも、貴重な戦争遺跡だと思うんですね。80年の時空を超えて、戦争を今に伝える石積み。