夏晴れの浦戸湾、県営渡船〔7038〕2022/07/23
2022年7月23日(土)夏晴れ
爽やかな夏の朝。日差しはギラギラやけど、湿度が低くて心地良い。そんな土曜日の、朝。
実は昨夜、御畳瀬に車を置いてたので、今朝早朝から走って取りに行ってました。走ったのは浦戸湾東岸。五台山麓からタナスカ、東孕、仁井田、そして種崎。浦戸大橋は渡らずに、県営渡船に乗って、御畳瀬。渡船の時刻表はこんな感じで、どの便にも数名のお客さん。県民市民の大事な足であること、よくわかる。
願わくば、浦戸湾の海上交通がもっともっと見直されて欲しいねー。まあ、それはそれとして。
あの浦戸大橋。開通して50年。こないだ知ったように、早明浦ダムの建設工事に絡ませたことで実現したそう。もしそれがなければ、あそこにあのような橋は、架かっていなかった。なんか、不思議な感じがするね。50年間見続けてきた風景なので、あそこに橋がない風景というのは、なかなか雄像するのが難しい。
今朝走ってきて、感じたこと。
地域の風景は、歴史の文脈のなかにある、ということ。
仁井田の、この地点のストリートビューが、これ。種崎半島の北岸には、造船所のクレーンが並んでます。藩政期、種崎にはたくさんの船大工が住み、海運業者が住み、そして藩の造船所などがあった話は、ブラタモリでやったっけ?忘れましたね。
この「舟倉」という地名が、江戸時代の種崎の風景を想像させてくれます。そういう歴史を知った上で、今一度この種崎半島北岸を眺めると、その江戸時代の歴史の延長に、この風景があることがわかって、楽しい。楽しくないですか?
もうひとつ言えば、種崎の北側の埋立地に新高知重工とかいった大きな造船会社、造船所があって、巨大な船がドック入りしているのも、江戸時代の歴史の延長にあるのかも知れない。などと、感じた夏の朝。
種崎半島ってのは、土佐湾の海流が西から東へと流れる際に運んできた土砂が、竜頭岬をまわりこんだところに堆積してできた、砂嘴。2万年前、今より海水面が120m以上低かった時代には存在しなかったもの。
その砂嘴が、浦戸湾を静かな海、良港にしてくれました。その半島の湾内側、波が来ない側に、造船の基地ができたのは必然だったのでしょうか。
そんな歴史を感じながら、県営渡船で浦戸湾を渡り、美しい浦戸大橋を見上げてきた、朝。暑いけど、風が涼しい夏の朝。夏休みの子どもたちは何して遊ぶんだろうね。ちょっと、羨ましい。