物部の流路と気候と集落〔7037〕2022/07/22
2022年7月22日(金)晴れ!
夏空の朝。学校も夏休みになって、夏らしさ満開になりました。クマゼミが朝から喧しい。
よく晴れてて、本社棟の窓を全部開けると、建物の中に爽やかな風が吹いてきて、気持ちいいねー。電気代も上がってきてるので、クーラーつけず、窓全部開けてます。こっちの方が涼しいし、気持ちいい。扇風機を発明した人を尊敬します。
写真は、会社の裏手の物部川。こないだの雨で、少しだけ水量が増えている物部川。中洲ができて、幾筋もの流路を流れてくる物部川。この風景見てると、野中兼山以前の風景が見えてきます。
現在の流路に固定したのは野中兼山さん、という話は幾度か書いてきました。流路を穿ち、堤防を築いて。そして、山田堰などを構築して、豊かな物部川の流れを香長平野に引水して、広大な農地を切り拓いたのでした。
では、野中兼山以前を想像してみよう。
舟入川や、野市方面への用水がなかったので、本流の水量は今よりずっと多かったでしょう。ダムがないので、大雨が降ると、物部川は氾濫し、この扇状地を流れくだる。この地形分類図を見れば、増水時の風景が見えてきます。
そう。今朝のこの写真のような風景が、扇状地全体で見られたのかも知れません。通常の増水なら、自然堤防の上に暮らす人々は、中洲に取り残されるものの、水が引けば大丈夫。ところが、洪水になると、逃げ場を失い、濁流に流されてしまう。ここで長く暮らしてきら人々は、そういうことを経験上知っていたから、大雨のときの行動様式をいつもシミュレーションしていたと思う。
弥生初期から中期にかけては、温暖な気候だったようで、降水量も比較的少なく、安定した時代だったことがわかってきてます。そんな温暖な気候の中、田村のように、田んぼを中心とした集落が発展拡大する。自然堤防の微高地に住みながら、物部の枝流の水を利用して水田をつくる。
弥生中期以降になると日本列島は寒冷化、湿潤化が進み、降水量が増えて洪水が頻発するようになったことも、最近わかってます。田村のような土地では、そういう洪水頻発に悩まされるようになり、いつしか、もっと標高の高い、洪水に襲われない土地で暮らすようになり、田んぼと生活空間が離れるようになる。
すると、農地の管理とかをするのに広域での力が必要となり、権力というものが強くなっていって、国家のようなものが形成されていく。
そんな歴史が、あったのかも、知れません。いや、妄想ですが。でも、近年の研究でわかってきた気候の動きは、そんな感じ。
そうそう。田村の場合は、そういう気候と洪水の問題だけではなく、南海トラフ地震の津波の影響もあったのかも知れんね。いずれにしても、大自然は、恐ろしい。
この、流路が枝分かれして流れる風景を見ると、かつての物部川扇状地の風景を想像してしまうのでした。
今は、物部の水の恵みをいただいて、工場が稼働しています。さあ、今日も仕事をはじめよう!