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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

葛島につながる道〔6993〕2022/06/08

葛島につながる道

2022年6月8日(水)薄曇り

それにしても、いろんなものの価格、暴騰してます。コロナになっての社会の変化も凄まじかったけど、ロシアのウクライナ侵攻による影響も凄まじい。でもこれ、メーカーや業者が我慢して吸収すべきものではないし、できるものでもありません。こんだけ上がってくると、それはそれで価格に転嫁されないと、経済がまわっていきません。それだけのレベルの社会的激変が起きているのが、今。特に目を引くのが、穀物の価格と、エネルギーコスト。小麦や家畜の飼料価格、それに電気代とか、すごいことになってきてます。今でもすごいけど、今後更に高騰していくとのことで、これをどうやって価格に反映していくのかが日本社会での大きな課題となっています。

もう、酪農家さんも、もたない状況になっているのは、このにっこりでも幾度か書いてきたけど、それは更に悪化してますね。すごい勢いで。一刻も早い対応が必要と感じてます。

 

閑話休題。

ここは今朝、夜明け前の葛島橋。午前5時前。まだ、電車も動いていない時間の葛島橋東詰電停側から、西向いて撮影しました。左が電車の橋で、右が、旧国道の葛島橋。

 

ここに電車が通って電停ができたのは大正時代。電車開通前、ここに橋が架けられたのは、明治33年のことでした。

 

この左の地図は、電車が通る前の、明治40年頃のもの。葛島橋という橋が見えます。この橋は、お城下と高須、大津介良方面を結ぶ幹線ルートの橋として、架けられました。とは言え、今、イメージする、現在の電車通りから高須へと渡るものではありません。当時の、お城下の幹線ルートは、追手筋から蓮池町、中新町を通る道。つまり、高知城の追手門を出てまっすぐ東へと行く道が、葛島橋を渡って高須へとつながっていたのでした。

この地図で、現在の地図と明治40年の地図を見比べてみたら、理解できます。電車通りがメインルートみたいになったのは、それこそ、本町に電車が通ってからなんですね。それまで、宝永町とか知寄町の、現在の電車通りの所には道路はなかった、という事実は、あまり知られてないと思います。

 

逆に言えば、電車を走らせることができたのは、田んぼだったから、とも言えましょう。電車が走ることによって幹線が南の田園地帯だった場所に移り、蓮池町から中新町の道は、狭いこともあって、幹線ではなくなっていってしまった、という歴史があります。

今でこそ、蓮池町から宝永町にかけての道は広くなってるけど、ついこないだまで(※個人のイメージです)は狭い道で、なんであんな狭い道沿いに県立中央病院があったのか、謎でした。あの道の重要性を知った今になって、あそこに中央病院がつくられた意味というものが理解できたんですね。

あの、追手筋からつながる道が幹線であり、ここの葛島橋につながっていた、という歴史を知ると、理解できたのでした。

 

歴史の流れの中で変わっていく、風景、幹線、賑わい。

今のコロナと戦争は、この国の歴史をどう変えていくのだろう。僕らは粛々と、やれることをやり、最善を尽くしていくしかありません。さあ、今日も張り切って仕事仕事!


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