後免駅と、後免の変遷〔6965〕2022/05/11
2022年5月11日(水)雨
昨日からよく降ります。GWが明けてからの雨で良かった良かった。山は渇水になったりしてるので、恵みの雨やね。
ここは今朝の後免駅。JR後免駅であり、土佐くろしお鉄道ごめん奈半利線の後免駅でもあります。ここに駅ができたのは大正14年のこと。鉄道省高知線が土佐山田まで延伸した際、開業。翌年には高知鉄道の安芸方面への延伸が始まり、高知鉄道の後免駅ともなります。現在の後免町駅と区別するため、省後免駅と呼んだりもしてたみたい。
そもそも後免の町は、藩政期初期の野中兼山が香長平野を灌漑して広大な農地を切り拓いた際、開削された舟入川沿いにつくられた町。立地のポイントは舟入川ね。そしてここに住むと年貢が免除されたので、御免の町ということで、後免になったという話は、まあ、有名なのでみんな知ってると思います。
その際にできた町は現在の商店街の通りが中心。それは鉄道や電車ができるまで、いや、できてからも、そうでした。電車通りは、スーパーとかができてから、栄えた感じでしょうか。
で、この後免駅の立地は、町から少し離れた場所でした。高知駅がそうであったように。つまり、そこに住む住民にとっては迷惑施設という位置付けだったんでしょうね。騒音も、煤煙も、そしてなにより黄害も。スマホに表示しているのは、明治末期の地図。青丸が現在地、後免駅。こんな場所につくられたのでした。田んぼの中。
現在は、近くにスーパーもあって、なかなか賑やかで便利な場所になってます。今朝行ってみたら、大きな道路ができてきているではないか。この写真の、向こう側。そうか。後免中町の電車通りのところで工事している南北の道路は、後免駅の東へつながるのか。GoogleMap見たら、わかりました。後免駅のところからどうなるんでしょうかね。とにかく、知らないうちに、町の風景は変わってゆきます。
野中兼山の農地開発によってできた町。鉄道や電車が走り、南国バイパスができ、随分と風景も変わってきました。きましたが、なんとなく狭い道路が縦横に、というイメージだった後免が、今、大きく変わりつつあります。広い道路が東西と南北に走ったりして。
新しい道路ができると、また、後免の賑わい風景も変わっていくんでしょうねー。どんなになるんだろう。