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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

希義行宗合流ルート、柏水〔6956〕2022/05/02

希義行宗合流ルート、柏水

2022年5月2日(月)晴れ

新聞にもあったように、昨日はどこもかしこもすごい人出で賑わったようですねー。日曜市も、コロナになって以来、最高の人出だったとのこと。連休明けが心配やけど、まあ、仕方ないでしょう。そろそろ出口戦略も考えんといけません。

で、大型連休真っ盛りの方も多いでしょうが、今日はお仕事、という方も多いと思う高知県地方。僕も今朝は早朝から会社に来てます。連休でのロングライフリープルの売れ行きは好調で、嬉しい限り。高知へ来られたり規制されたりしてる方は、ぜひ、お土産にリープル買うて帰ってください。買いそびれた方は、こちらから

 

さて。

昨日、「鎌倉殿の13人」にまつわる源希義さんのこと、書きました。頼朝の同母弟。平治の乱の後、土佐に流されて平家方の監視下に置かれた、源希義少年。で、その当時の希義少年は、たぶん8歳くらい。以前3歳くらいと書いたことあるのは、間違い。で、源家の荘園があった介良に住んだ、と書いたこともあるけど、それもたぶん、嘘。間違い。紛らわしい。真相は、近年の研究では、介良には平家方の荘園があったという説が有力なんですね。このように。このにっこりひまわりを読むときは、偽情報が紛れ込んでいる場合があるので気をつけよう。などとエラげに書いている場合ではなくて、本当に申し訳ございません。

 

で、今朝も希義さんの話。定説では。頼朝挙兵の報を受けた土佐の平家方、蓮池家綱らが希義くんを討ちにくる。介良でそれを察した希義くんたちは、夜須七郎行宗と合流すべく介良を出発し、昨日紹介した年越山で家綱に討たれた、ということになってます。そして、介良から年越山へ向かう途中で喉が渇き、農夫に水を所望して、柏の木の下から湧き出る水を柏の葉で掬って飲んだ、との伝承。

今朝は、その柏水の伝承地がどうなっているのか、見てきました。変わってないねー。以前と同じ、柏水。

 

以前の考察で、介良から数キロしか離れてない地点で、馬に乗ってやって来た希義くんが喉が渇くのは早過ぎるのではないか、と書きました。そう。この写真、右手の樹木の場所が、柏水。向こうに介良富士が見えてて、あの山の麓が介良。あそこからここまでは、数キロ。でも、平家方の襲撃情報を得た希義くんたちが大慌て、取るものも取り敢えず介良を出立した、ということなら、話がわかります。夜須行宗の行動といい、その当日は、かなり緊迫した状況、一刻を争う状況だったことが窺える気も、するではありませんか。たぶんそうだ。

さすれば。もし、ここで水を飲んだりという休憩を挟まなければ、既に野市までやって来ていた夜須行宗と、ひょっとしたら合流することができていた可能性もあるのではないか。すると、頼朝の同母弟、という立場からして、その後の日本史で重要な役回りを演じることになったのではないか。

 

などという妄想を暴走させるに足るほどの重要人物が、当時の土佐に、居ました。


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