人口構造〔6945〕2022/04/21
2022年4月21日(木)薄曇り
話題のひまちゃんスタンプ、もうダウンロードしましたか?
さて。今朝の高知新聞。「県人口減67万人台」。
この67万人という規模感、都会の人にはわからんでしょうねー。学校給食などの市場規模を説明する際に、高知県の人口や児童数の話をするけど、なかなか都会の方にはすぐには理解してもらえません。
このにっこりひまわりの記述を見てみると、高知県の人口が70万人を割ったのが、2019年4月のこと。2019年4月1日現在が700,059人なので、間違いないですね。それから3年。はやくも67万人台になってしまった。
コロナで地方が見直される、地方移住や地方での在宅ワークが進む、などと言われたりもしたのに、この結果。いや、かなり厳しい。
この記事には、「大正時代並み」という記述があるけど、そこにはもう一つ、重要な視点が必要だと思う。大正時代と現代。圧倒的に違う人口構造を忘れてはなりません。
大正や明治の頃の人口になっても、エコな生活をすればそれでいいではないか、という議論があるのは承知しています。でもね。当時と今では人口構造が全然、違う。
もちろん年齢の構造が違うことは、わかる。今、高知のような地方では圧倒的に高齢化が進み、若年層が少ない構造。これがひとつ。そしてもうひとつは、山間部や過疎地ほど、人口が減っているという事実。
以前、高知県全体の人口と池川町の人口を比較する資料、つくってみたこと、あります。PCに表示してある資料。
明治24年(1891年)の高知県人口は575,300人。
その当時の池川町の人口は、3,908人。
昨年、令和3年(2021年)の高知県人口は684,754人。
仁淀川町の、旧池川町の人口は推定1,400人。
このペースで推定される、令和22年(2040年)の高知県人口は、明治24年に近い536,000人。
旧池川町は、なんと760人。
これって、なかなか衝撃的だと思います。県民57万人時代に4000人近く居た池川が、県民54万人時代に760人。
同じ50万人台県民でも、1891年と2040年では、人口構造が全然違う。中山間の人口の減少がすごい。これで、日本という国土が成り立つのかどうなのか。世界でも、これだけの急激な人口構造変化が起きている国は珍しいんではないか、と思ってしまいました。
これって、なんとかせんといかんのではないか。そういう危機意識を持っているのは、どの地方も同じだと思います。これはね、現在の、「地方が良い知恵やアイディアを出してきたら予算をつけてやろう」という目線の国家政策がある限り、解決できん問題やと思ってます。でも、国の政策を考える人たちは東京に住んでて、その目線でしか考えられない。近年は、大都会で生まれ育った人が官僚になるケースも増えてきていて、へんてこりんなスパイラルになってると思えてなりません。
高知で暮らし、高知を愛する者の一人として、今朝のこの記事、厳しい。