「知の巨人」の想い〔6936〕2022/04/12
2022年4月12日(火)晴れ
「知の巨人」と言われた立花隆さんが亡くなったのが、去年の4月。本好きの僕は、立花隆さんの蔵書に圧倒され、とんでもなく尊敬しておりました。
このにっこりでも紹介したことのある立花さんの事務所「ネコビル」を中心に所蔵されていた5万冊の蔵書が、立花さんの遺志で、古書店に譲渡されたとの記事に、これまた圧倒されました。あの凄まじい蔵書を、僕らは古書店で購入して読むことができるようになった訳で、亡くなってからも、立花さんの生き様や想いは残っているのでした。
この記事には、生前立花さんが語っていたという「立花隆が持っていた本が欲しい人ではなく、本の内容そのものに興味がある人の手に渡るようにしてほしい」という言葉が紹介されてます。そして「文庫や記念館などの設立は絶対にしてほしくない」との言葉も。
ここには、立花さんの「本」に対する考え方がよく現れてます。調べ物するだけなら、図書館行って調べたらいい。しかし、その本の内容を自分の血とし肉としていくには、その本を自分のものとし、自分の身体の一部として体感できるくらいになる必要がある。と書いたら言い過ぎかも知れんけど、本を買う、とはそういうことだと立花さんは思っていたと思うし、僕もそう思う。
「立花隆の書棚」という分厚い本を、金高堂さんでついうっかり買ってしまったのは、2015年10月のこと。この本の帯には「書棚は持ち主の知的歴史の断面なのだ」という立花さんの言葉が書かれてて、まさにその通りだと思うのでした。
せっかくなので、ストリートビューで「ネコビル」、行ってみましょう。このビルが、立花隆さんの知の拠点、ネコビル。地理院地図の土地条件図で見ると、この坂が、小石川台地に上っていく坂道であることがわかります。その名も六角坂。六角氏の屋敷があったから六角坂。その六角氏は、近江界隈の有名な佐々木源氏六角氏とはまったく関係なくて、公家、日野流六角家なんだそう。
大学の時の第二外国語、中国語の先生が六角先生やったけど、どの六角氏なんでしょうかね。
立花隆さんの話でした。
この文京区の坂下に置かれていた蔵書5万冊。そのジャンルも凄まじく、生涯を通じて本を読みまくっていたことが、わかります。そして読んだ本が、血となり、肉となる。
読んだ人の血となり、肉となることを切望した立花隆さんの想いは、僕らが古書店で買って読むことで、叶えられてゆく。
そろそろ東京の古本屋街、歩きたくなってきました。