高知大丸とエスカレーター〔6916〕2022/03/23
2022年3月23日(水)晴れ
コロナも大変やけど、花粉症の皆さんも大変そうですねー。大気は見事に霞んでいて、どっから見ても花粉が飛び交ってます。春霞、と喜んでいる場合ではないのでありましょう。花粉症にはヨーグルト。これはもう、科学的、医学的に証明されてること。プロバイオティクスね。ヨーグルト食べて、花粉症に立ち向かおう。コロナも、その感染には免疫力が関係してるので、ヨーグルトを食べて免疫力をアップしましょう。
さて。
昨日の高知新聞に、高知大丸さんの記事が載ってました。「平屋から中心街の核に」という見出して、サブ見出しが「激動乗り越えリニューアル」。そう。高知大丸さんは、大規模改装を終えて、明後日リニューアルオープンします。なかなか興味深い店舗も入居するみたいで、楽しみ楽しみ。今朝は、未明の高知大丸さんを撮影してから出社して来ました。
で、その記事には、高知大丸史も親切に書いてくれてます。
高知大丸開業は、戦後間もない1947年、昭和22年の4月1日。南海地震の3ヶ月後なので、まだまだ高知の街は瓦礫が多かった、そんなときにオープンした本格百貨店、高知大丸。場所は、帯屋町二丁目で、平屋建てだったそう。その大丸の記憶は、僕にはありません。戦争、そして震災の復興期で、モノに飢えていた庶民のエネルギーが、その大丸百貨店に賑わいをもたらしたと言います。
現在地に4階建て(一部5階)のビルでオープンしたのは、1955年。昭和30年。昭和36年生まれの僕の記憶にあるのは、その大丸。丸に「大」の大きな看板が印象的だった。1955年に開店した際には、四国初の「エスカレーター」なるものが登場し、みんなを驚かせたと言います。なにしろ、階段が、動く。
素人が想像しても、エスカレーターって、エレベーターよりは機構が難しそう。階段を動かす訳ですきんね。で、僕らは物心ついた時からエスカレーターに乗っておった訳やけど、僕より10歳上の飲食店経営者Iさんは、土佐清水から修学旅行で高知市へやって来て、始めてエスカレーターに乗って嬉しかった、と話しておられます。なるほど。
そう言えば、思い出しました。今から40年ほど前に、友人と台湾旅行したときのこと。台中か台南か忘れたけど、そこに「超級市場」があって、エスカレーターがありました。地方から出て来たと思しき親子連れが、そのエスカレーターの前で、逡巡している。初めてなので、乗るタイミングがつかめんみたいでした。40年前のこと。
こうやって文明は浸透していくんでしょうね。Iさんの大丸。台湾親子の超級市場。
ところでウィキ見ると、「エスカレーター」というのはオーチス・エレベーターが考えた商標なんだそう。1950年に商標権を喪失し、みんなエレベーターと呼べるようになりました。エスカレーターという名前の語源はエスカレート、つまりescalateなんだろう、と思ってませんか?
僕は、そう思ってました。
ところが真相は、逆。escalateという言葉は、1922年、エスカレーターに乗って上に登る、といった意味で登場した「新語」なんだって。エスカレーターが、先。知らんかった。そして日本には、「エスカレーター」と一緒に導入された「エスカレート」。
「コロナ感染者に対する差別発言がエスカレートして、見過ごせない状況になった」という「エスカレート」は、エスカレーターが語源。エスカレートが語源でエスカレーターという名称になった、と思っていたのは大きな間違い。反対でした。世の中、知らないことだらけ。どうでもいいですか?
ともあれ、ロシアの攻撃がエスカレートしないことを心から祈る、朝。