浅間山荘50年〔6893〕2022/02/28
2022年2月28日(月)晴れ
昨日の日中は、温かったねー。春のような陽気の日曜日。高知市の最高気温は18.3℃。コロナの真っ最中なので、行楽気分には遠いけど、なんとなく浮かれてしまうようなお天気でした。ウクライナだコロナだと、テレビでは嫌になるようなニュースが流れてますが、季節は着実に、春へ。
1972年2月28日。丁度50年前の今日、浅間山荘事件が終結しました。僕は10歳。あのとき追手前小学校の教室に置かれた白黒テレビで見た映像は、鮮烈に記憶に残っています。1972年2月28日の、テレビ映像。あの生中継は、NHKも民放もこぞって放映してて、ウィキによると、あの、機動隊が鉄球を山荘にぶち込んで突入する生映像の番組は、NHK、民放合わせると89.7%という驚異的な視聴率だったそう。NHKが朝9:40から夜の20:20まで放映した報道特別番組の平均視聴率は50.8%。瞬間ではなくて、そんなにも長い時間の平均視聴率ですきんね。今も、報道とl区別番組としてのその視聴率は、日本記録なんだそうです。
とにかく、あの日の機動隊突入までに、様々な衝撃的な事件がありました。浅間山荘に立て篭もるまでに、「総括」と称して、たくさんの犠牲者が出たりして。小学生の僕は、そんな経緯の全貌を知っていた訳ではありません。でも、子供心に、なにやらすごいことになっているらしい、ことは解ってました。
あまりにも重大な事件であった為か、あのNHKの生中継を、小学校の教室にあったテレビをつけっぱなしにして、僕らに見せてくれたのでした。
教室のテレビをつけっぱなしにしてくれたのは、その3年前のアポロ11号月面着陸と、浅間山荘事件だけだったと記憶してます。だから、一層、衝撃的な映像として脳裏に焼き付いておるんですね。
Googleマップで見てみました。この建物が、おそらく旧浅間山荘。あの鉄球で打ち抜かれた壁は補修されているそうやけど、あの当時のままの佇まいで、今も残っている浅間山荘。さすがに、ストリートビューは、ありませんでした。
もう、あれから半世紀か。
学生運動は下火になり、左翼の活動も様変わりして、今の若者たちに、あの時代の空気感とか高揚感とかを理解することはできんでしょうね。
あの生放送は、テレビという時代が画期を迎えた象徴だったような気がします。世の中の出来事、ニュースを、リアルタイムでお茶の間から(教室から)見ることができる、という新しい時代の訪れだった。
あれから半世紀。50年。今は、みんながリアルタイムで動画を撮影し、それぞれが自由に世界に向けて発信できる時代になりました。こんな感じで世界は変わってゆく。
変わってゆくのに、このところのニュース見てると、世界の指導者層の考え方は何も変わっていない、などと思ってしまいます。
菜の花が満開で、早咲きの桜が咲き始めた季節。はやく、世界にも春が訪れてくれることを祈るばかり。