道真公と梅と気候〔6886〕2022/02/21
2022年2月21日(月)晴れ
まだまだ冷やいねー。三寒四温の季節やけど、「寒」がなかなか、しわい。気になる高知自動車道、昨日は大豊川之江間が雪で通行止めになってたけど、今は解除になっていて、少しホッとしております。
で、まだ冷やいこの季節、目を楽しませてくれるのは、梅。紅梅白梅があちこちで綺麗に咲き誇り、馥郁たる匂いが香る季節でも、あります。
会社の近く、立田駅のそばに、小さな天満宮が鎮座まします。この天満宮は、道真公が太宰府で亡くなられた際に、道真公嫡男で土佐権守に左遷させられておった菅原高視さんの乳母が、道真公遺愛の八重の白梅の株を、太宰府から、遠く土佐に住む高視さんに届けようと遥々やってきて、到着直前、この地で亡くなったという言い伝えに由来する、天満宮。まさに、梅に縁が深い天神様。今咲いてるのは紅梅ですが。
菅原道真公と梅との関係は、深い。天満宮のマークが梅なのは、その関係の深さを象徴してます。京、五条の道真公の屋敷には立派な梅があり、日々それを眺めながら暮らしていた道真公。
道真公、神童だった5歳のときに
梅の花 紅の色にも にたるかな 阿呼(あこ)がほほにも つけたくぞある
という可愛くも秀逸な歌を詠んだのにはじまって、梅にまつわる歌やら漢詩やらをいっぱい作ってます。
一番有名なのは、藤原氏の策略で太宰府に左遷が決まり、京の邸宅を離れる際に詠んだ、この歌。
東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
哀しい歌。その後、その邸宅の梅が太宰府まで飛んできて「飛龍梅」になった、みたいな話は、今日のテーマではありません。
今朝は、梅と気候の話。
実は、道真公が、太宰員外師に左遷されたのは、昌泰4年1月25日。つまり、西暦901年2月21日。つまり、1121年前の、今日。なるほど。確かに梅の咲く季節だ。この気温のグラフみると、平安時代は、概ね暖かい気候。現代と似てます。なので、梅の花が咲く時期も、丁度今頃だったと推察できます。
そう。こんな気候の中、馥郁たる梅の香りに包まれながら、道真公は西へと旅立っていったのでした。
そして失意のうちに亡くなったのは、延喜3年2月25日。今だと3月後半で、梅はとうに終わり、桜の時期。亡くなる前の、冬。淡雪が降った日に、梅の花のことを詠んだ漢詩が、絶筆になったそうです。
梅に彩られながら駆け抜けた人生。
失意やったかも知れんけど、後世になって、これほどまでに老若男女に親しまれるようになるとは、想像もできんかったでしょうね。世の中、なかなか面白い。
そんな訳で、菅公にあやかって勉強しながら、今週も仕事を始めよう。忙しい忙しい月曜日。