沢城、蚊居田城のある風景〔6872〕2022/02/07
2022年2月7日(月)晴れ
立春が過ぎたけど、今朝はまだまだ冬の朝。冷やいねー。
昨日のにっこりに、またまた湿地帯につくられたお城、砦のこと、書きました。それで忘れてはならんと思うのが、蚊居田城ね。別名、沢城。名前からして、魅力的なお城だ。
南国市の、高知空港とその西側の平野部。巨大な弥生集落遺跡でもある、田村遺跡とその西側の平野。そこは、物部川の扇状地と、河口部の湿地帯、ラグーンがあった場所。そのエリアには、有名な中世の城跡が、3つあります。
一番有名なのは、もちろん田村城。中世土佐を支配した守護代、細川氏の居館であり、その周辺には環濠集落が形成されておりました。立地としては、物部川河口部の交通の要衝であり、扇状地の自然堤防上。防御の城というよりも、物流を支配下に置く、といった意味合いが強いように、見えます。その田村城から南へ、空港の滑走路を抜けたところにあったのが、千屋城。戦国期、かなり有力な豪族であった千屋氏の居城で、これもまた川沿い、扇状地の自然堤防上にあります。
そしてもう一つ。有力豪族であった蚊居田氏の本拠、「蚊居田城」。別名「沢城」。その立地は、この土地条件図でもわかるように、湿地帯。
現在の陰影起伏図で見ると、ここに、方形の盛り上がった土地があること、わかります。これ、人為的な土盛りに見えます。現地で見ても、よくわからんけど。が、いずれにしても、湿地帯の中の盛り上がった土地。そこに築かれた居館は、田村城や千屋城とは一線を画す立地となっておりますね。僕の想像(妄想)では、忍城などと同じような、湿地帯の城だ。湿地が自然の防御機構となっている居館だったのではないか。「沢城」という名前が、その性格を見事に言い表しているのではないか。そんなことを考えるのであります。
「蚊居田城」という名称も、やはり湿地っぽい。浜改田、里改田の「改田」は「蚊居田」で、蚊が居る田んぼが由来、という話は以前にも書いた気がします。蚊が居る田んぼは、湿地でしょう。
その蚊居田城。沢城。以前にも紹介したことあるけど、今朝、今一度行って撮影してきました。
以前に行った際に撮影した標柱は、12年経った今も、同じように立ってました。その標柱にも書かれている城八幡が、この写真正面の森に鎮座まします。
今一度、陰影起伏図を見ると、やはり方形に盛り上がった土地で、その北西隅に、城八幡。ここにどんな居館があったのか。その当時の景観、地形はどうだったのか。もし、城跡の痕跡がこの方形の盛り土とすれば、中世の文脈を今に伝える地形、ということになるけどね。関係ないかも知れんけど。
以前、弥生時代の田村の風景を妄想して楽しんだことあるけど、この蚊居田の中世の風景を妄想するのも、また、楽しいね。楽しくないですか?
と、まあ、一週間が始まりました。三寒四温の季節。でも、間違いなく、季節は春へ。