九軍神と酒巻さんと徳島城〔6810〕2021/12/07
2021年12月7日(火)晴れ!
今朝の高知新聞。「語り継ぐ潜航艇極秘訓練」という見出しが、目を引きました。明日、12月8日は真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった日。それに合わせ、真珠湾攻撃の際に出撃した特殊潜航艇の極秘訓練地だった、愛媛県伊方町の取り組みが、記事になっておりました。佐田岬半島中央部というから、こないだ九州へ行った際に近くを通っているではないか。
この記事によると、その「三机湾」は、地形や、周辺の人の出入りが少なかったことから訓練地に選ばれた、とのこと。そこで訓練を積み、真珠湾で出撃した特殊潜航艇は5隻。搭乗員10名のうち、9名はその突撃の際に戦死し、戦意高揚に利用されて「九軍神」とたたえられ、広く知らしめられたのでした。9名。
実は10名やったけど、一人は潜航艇がサンゴ礁で座礁してしまい、米軍の捕虜になっておりました。太平洋戦争で最初の捕虜、ということになります。もちろん、その事実は終戦まで隠蔽されております。都合の悪いことは隠蔽してしまえ、という最近どっかで聞いたような話ね。
この記事を読んで、徳島城址を思い出しました。あの、徳島城址の山の上に、「清玄坊神社」という祠が祀られております。戦国期のお坊さん。修験者。三好氏の時代、現在徳島城のある山に祈祷所をつくって修行しておったそう。戦国が終わり、蜂須賀家政がその山に築城しようとして、その界隈の全寺社の移転を命じたが、清玄坊は断固拒否。そこで、騙して城下へ連れ出して、背後から弓で射殺したんだそう。無茶しますな。その後、蜂須賀家には凶事が続いたということで、こりゃあ清玄坊の祟りだということになり、慌てて供養することになりました。それが、今も城址の山上に鎮座まします清玄坊神社。
で。
その清玄坊係累の子孫に、酒巻さんという一族があります。酒巻家から軍人になった酒巻和男さんは、選ばれて、上記の特殊潜航艇での攻撃のメンバーになったのでした。その酒巻さんが、九軍神にならず、捕虜第1号となって隠蔽され続けた人物。
戦時中、戦陣訓などによって捕虜となることを禁じていた日本軍。捕虜になるなら自決せよ、とされていた日本軍。酷い話やけど、そういう時代でした。そんな時代に捕虜となったけど、戦中には、日本人捕虜の説得などをして、非常に立派であったと言われております。ウィキによると、酒巻さんは、戦後復員してきてトヨタに入社、ブラジルのトヨタ現地法人の社長などを歴任し、1999年に亡くなった、となっています。
こないだ書いたように、今は、八幡浜から三崎への道は随分と良くなり、フェリーもあるので交通量も、多い。今なら、そんな場所に秘密訓練基地を作ったりはせんのでしょうが、当時は人の通らない格好の場所だったのでありましょう。
そこで訓練した若者たち。酒巻さん以外は真珠湾攻撃で全員戦死。酒巻さんは、その存在すらも隠蔽されたまま、つまり存在しないことになったまま終戦を迎え、戦後、復興する日本で活躍する。
訓練時に宿泊した旅館には、当時の写真や関連資料を展示しており、平和の尊さを後世に伝えてくれているそうです。慰霊碑もありますね。今度、九州へ行く際には、寄って、見てみたいと思いました。
今年もまた、12月8日がやってきます。