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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

ツクツクボウシの新改駅〔6735〕2021/09/23

ツクツクボウシの新改駅

2021年9月23日(木)秋晴れ

良いお天気の秋分の日。いつの間にか秋分の日。夏はどこへ行ったんだろう。とても良いお天気で、コロナ感染者も少し減ってきたということで、街には人、出てるんでしょうかね。まだまだ油断はなりません。

僕は午前中会社で過ごしてから、秋分の日を一人静かに楽しもうと、汽車に乗ってやって来ました。大好きな新改駅。駅は静かで、ツウツクボウシの声がするばかり。

いや、別に目的がある訳ではありません。あの、山に囲まれた駅の風情が好き。そこで一人、静かたたずむだけで、ゆったりと時間が流れてゆく。それだけ。高知駅のコンビニで買うてきたビールのおいしいことおいしいこと。

 

この新改に、戦争末期、第日本帝国陸軍第55軍司令部が置かれた話は、幾度も書いてきました。米軍の上陸作戦に備えて。昭和20年4月、高知市の城東中学校に司令部を置いた第55軍は、6月に、山深い要害の地、新改へと司令部を移転したのでした。

ここをヘッドクオーターにして、四国の太平洋岸に上陸してくる米軍を迎撃する、という作戦。置かれた兵力は10万人を超えたと言います。

ただ。

米軍の日本本土上陸作戦「ダウンフォール作戦」は、まず、昭和20年11月に九州南部へ上陸するオリンピック作戦と、翌年の首都圏侵攻を目的としたコロネット作戦で構成されていたことが、戦後、判明してます。四国上陸はパステル作戦という計画だったけど、それはあくまでも陽動作戦でした。

日本軍はその辺、なんとなくわかってて、九州には約60万人もの兵力を移動し、米軍上陸に備えてたと言います。なので、南九州には、おびただしい壕、トンネルが掘られて地下要塞化しようとしておりました。

 

硫黄島、沖縄での上陸作戦でもわかったように、日本軍は、地下要塞を築いて、民間人も巻き込んだ徹底抗戦で、米軍にダメージを与えようとしており、実際、それは効果を発揮しておりました。

そこで、米軍はどう考え、どういう作戦で臨もうとしていたのか。

 

NHK取材班による「幻の本土上陸作戦」という本があります。九州上陸のオリンピック作戦がいったいどんなものだったのか、アメリカに残る資料や証言を徹底的に集めて、その実態を明らかにするべく制作されたBS1スペシャル「終戦75年特集」の内容を、より詳しく記述したもの。その番組は、去年8月15日に放映されたそうですが、見損ねました。

その内容は衝撃的。

地下要塞を築いて抗戦する日本軍。それを攻撃する米軍の兵士もかなりの犠牲が出てしまう。そこで米軍は、米軍兵士の犠牲を少なくするために、毒ガス使用を本格的に検討しておりました。これは酷い。そして、原爆。

広島長崎の後、11月に南九州へ上陸するまでに、南九州へ9発の原爆を投下しようとしていたことが、わかってます。参謀長のマーシャルは、民間人も一緒になって抵抗する日本に対して「日本に一般市民はいない」と言ってのけておりました。だから、無差別殺戮も、みんな兵士だから、容認されると。

 

もし、陸軍が主張していたように本土決戦になだれ込んでいたら。歴史にifは無いと言うけど、戦慄の事態が、日本を覆っていたのは、間違いありません。

陽動作戦とは言え、高知の海岸にも、米軍はやって来ただろうし、新改の司令部もその周辺も、絨毯爆撃されて、この辺の様相を変えていたかも、知れません。この美しい山の様相を。

 

新改の、静かで美しい風景を一人で堪能しながら、平和を満喫する、午後。


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