「金田」は「かなだ」〔6727〕2021/09/15
2021年9月15日(火)小雨
昨日、山崎弥右衛門さんとその末裔、そして弥右衛門の丸について書きました。
あの弥右衛門橋から少し西へ行くと弥生町という名前の町があるけど、あの町名も、山崎弥右衛門さんにちなむものなんだそう。角川「高知県地名大辞典」には「弥右衛門の弥の字と生活の生の字をとり弥生町になったともいう。」と書かれてます。知ってました?僕は知らんかったです。世の中、知らないことだらけ。
で、あの弥右衛門橋の北は、現在の町名では海老ノ丸。こんな感じで町名が並んでて、最近は巨大な「とさのさと」やサニーマートさん、蔦屋書店さんなどができて、新たな人の流れが生まれている注目のエリア。マンションも増えたねー。今、どれくらいの人が住んでるんだろう。大きな街になりました。
この「地名大辞典」には、昭和35年とか昭和40年とかの世帯数、人口が、町名別に記載されてるので、その頃の世帯数を調べてみたところ。いやはや、たまげた。ビックリ。
海老ノ丸(昭和50年 世帯数1・人口4)
南久保(昭和35年 世帯数0・人口0)
北久保(昭和56年 世帯数0・人口0)
札場(昭和40年 世帯数0・人口0)
南御座(昭和35年 世帯数0・人口0)
北御座(昭和35年 世帯数0・人口0)
南川添(昭和35年 世帯数0・人口0)
北川添(昭和35年 世帯数0・人口0)
どうです?時期の差はあるけども、この広大なエリアで、この世帯数。ほとんど人が住んでなかった訳だ。ちなみに、上に書いた弥生町は、人が生活してるから「生」の字がつけられただけあって、昭和35年でも231世帯、778人の人口を擁しておりました。
当時の航空写真を見ると、さもありなん。こんな感じ。市街化調整区域の威力はすごいねー。で、昭和45年の台風10号のときは、この一体全部、浸水して海になってました。
で。弥生町の北にあるのが南金田(昭和35年 世帯数13・人口67)、北金田(昭和35年 世帯数0・人口0)。そして、その町名は「みなみかねだ」「きたかねだ」ではなく、「みなみかなだ」「きたかなだ」と、「高知県地名大辞典」に書いているではないか。「かねだ」ではなくて「かなだ」。つまり、その新田を開発した「金田源右衛門」さんは「かなだげんえもん」さんだったということになるのか。いやー、知らんかった。世の中、知らないことだらけ。知ってました?
神奈川県の金沢文庫が当初は「かねさわぶんこ」だったのが、加賀藩の金沢が「かなざわ」で有名になったので、いつしか「かなざわぶんこ」になったのと逆パターンでしょうかね。知らんけど。「かね」→「かな」で、「かな」→「かね」。「北金田」「南金田」も、そのうち「かねだ」になるのかも知れんねー。金田源右衛門さんには悪いけど。
「金」がつく地名で言えば、金子橋。枡形のから電車通りを渡った南側は、昭和47年まで「金子橋」という町名やったけど、その町名は、橋詰に住んでおった金子弥左衛門にちなむ、と地名大辞典には書いてます。弥右衛門ではなくて弥左衛門。高知市で、人名に由来する町名って、金田、弥右衛門、金子橋くらいしか思いつかんけど、他にもありましたっけ。
あった。大膳町もあったし、越前町もあったではないか。この話は長くなるので、また今度。
朝っぱらから実にどうでもいいような話を書き連ねてしまいました。小雨降る朝。さあ。仕事しなくっちゃ。