中野〔6719〕2021/09/07
2021年9月7日(火)晴れ
で、このコロナが落ち着いたら何がしたいか。酪農家さん達との「おきゃく」とか、高知らしいコミュニケーションしたいねー。あと、出張先で飲みに行ったり。東京とかでね。
そんな訳で、今日は東京で飲みに行った気になってみよう。ストリートビューで。
ここは、中野。
今から40年前。僕は、この路地にあった小さな居酒屋でバイトしてました。この右手。愛媛出身のマスターが、瀬戸内名物などを売りにして、全国の日本酒の銘柄を揃えてたお店。安くて静かで、良いお店だった。そもそもこの中野という街は、地味やけども安くてうまい店が多いイメージやったよね。あの向こうに見えるのはあの頃から中野のランドマークだった中野サンプラザで、あの向こうに警察大学校もあったりして、地味やけど安いイメージを増幅させてました。
中野駅北口から北へ伸びるサンモールとブロードウェイ。そこから東側が、路地が縦横の飲食店街。こうやって見てみると、並んでたお店、ほとんど入れ替わってます。もう40年やもんね。当たり前だ。でも、雰囲気はあまり変わってない、この界隈、老舗の「青葉」を中心にして、いっときラーメン激戦区になってたけど、今はどうなんだろう。中野駅北口の、今もある立ち食いそば屋さん横の路地を北へ行った角に「平凡」というラーメン屋さんがあって、僕は好きでした。ストリートビューで見たら、なにやらオシャレげなお店に変わってて、ちと寂しい。
40年前には、この左手には「ビアズレー」というジャズ喫茶があって、よく行ったもんです。中野武蔵野館という映画館もあったけど、今はもう、ない。変わってないのが、この八百屋。この八百屋さんは、今もあるんだ。バイトやってた時、よくこの八百屋さんに、お使いで買い物に来たもんです。懐かしい。今もあるのが嬉しいねー。
あの当時は、中野サンプラザへはたまにボウリングやりに行くことあったけど、その向こう側には縁はありませんでした。警察大学校とかだったからねー。
その界隈、今は「中野四季の都市(なかのしきのまち)」という街になって、オフィスビルや大学キャンパスなどが並ぶ再開発エリアになってるんだそう。中野もイメージ、変わるね。サンプラザも、立て替えられて再開発されるらしいし。
警察大学校があった場所は、言わずと知れた陸軍中野学校跡地。情報将校を育成したりする、日本軍のインテリジェンス養成期間。でも、教育が始まったのは昭和13年というから、もう日中戦争始まっておるではないか。なんという遅さ。なんという情報軽視。旧日本軍の欠点が、こんなことろからもよくわかる。
その一帯に陸軍の施設が置かれたのは、明治期からと言います。武蔵野の、広大な土地があったからでしょうかね。その広い土地は、徳川綱吉時代に「お囲い犬屋敷」という広い広い野犬保護施設があった場所であることは、ご存知ですよね。僕は、中野に住んでた頃でも、全然知らんかったけど。
中野区のホームページによりますれば、このような広大な30万坪の土地が囲われ、野犬が保護されて飼育されてたそう。すごい。世界でも類を見ない犬の王国だ。最盛期には30万頭と言うから、すごい。すさまじい。中野区役所前には、それを伝える犬の像も。30万頭ではなくて5頭やけど。
そんな歴史をもつ土地も、明治になって陸軍の施設や中野学校がつくられ、戦後には区役所や警察大学校、サンプラザなどの公的施設が並び、そして再開発の波を受けてオフィスビルや大学キャンパス。
そういった広大な再開発エリアが出現したのも、元を辿ればお犬様。広大お囲い犬屋敷無かりせば、中野四季の都市もなかったのかも知れない。
40年前とそんなに変わらない路地からサンプラザを見上げ、再開発もいいけど、はやくこんな路地でお酒飲んだりできる日がくればいいね、などと思うのでした。東京も、しばらく行ってません。