中ノ湯温泉、安房峠、釜トンネル〔6711〕2021/08/30
2021年8月30日(月)晴れ
夏晴れの月曜日。気持ちいいねー。月曜日の朝がこんなんだと、働く活力が湧いてくる。湧いてくる気がする。するよね。
昨日は夏休み最後の日曜やったけど、皆さんいかがお過ごしだったでしょうか。このコロナの中で。どこにも行かず、家でモンモン、という方も多かったんではないでしょうかね。でも、明けなかった夜は、ない。頑張ろう。頑張りましょう。お店でお酒は飲めんけど。
そんな訳でまたまたやります。コロナでどこにも行けないけどネットならどこでも行けるシリーズ。
こないだ、学生時代に現地購入した中古自転車で台湾一周してきた話、書きました。購入したのが日本円で5000円くらいで、売却したのも同じくらいだったから、とてもリーズナブルで素敵な台湾旅行でした。
それで味をしめた僕は、東京に帰ってきてから、早速自転車を購入したのでした。近所の小さな自転車屋さんで。こんな感じの、当時としてもレトロな中古自転車を、丁度1万円也で買ったのでした。キチンと整備しくれてたので、サイクリストでもない僕には上等だった。
そして早速、その自転車で、大学への通学を始めたのでした。新井薬師前の下宿から約6.5kmで、大学。
当時、西武球場で弁当売りのバイトをしてたので、そこへもその自転車で行きました。片道約30km。酔狂やね。
そして、その大学3年生の夏、その自転車で高知へ帰省したのでした。北陸廻りで1000km以上を、11日くらいかけてやったと記憶します。元気やったねー。
その時の最高地点が、安房峠。あぼう峠。当時、標高は1812mと記憶しちょったけども、今、地理院地図で見てみたら1790m。自転車乗りではない、つまり、パンク修理道具とかも何も持たない僕は、台湾で買うてきた傘をかぶって変速機のない頑丈だけが取り柄の重たくて黒い自転車のペダルをひたすら踏み続けたのでした。前にも書いたけど。
宿泊は、基本、野宿。公園のベンチとかね。真夏なので、蚊が大変やったこと覚えてます。山中で雨に降られて日が暮れ、道端の土管の中で寝たことも、あります。
そんな道中で、唯一旅館に泊まったのが、この安房峠へ登る途中にある「中ノ湯温泉」。いや、そんな予定ではなかったけど。中ノ湯温泉手前で、自転車がパンクしてしまったのでした。上に書いたように、僕は修理道具持ってない。
上高地への分岐、釜トンネル手前で、交通整理の旗降ってるお兄さんが居て、そのお兄さんを手伝いながらサイクリストが通りかかるのを待つこと、2~3時間だったでしょうか。もっとかも知れない。その、サイクリスト待ちで過ごした分岐の現在をストリートビューで表示したのが、これ。右が上高地へとつながる釜トンネル。分岐点。あんまし変わってないけど、あんな「中ノ湯売店」とか、なかったぞよ。あの頃の「釜トンネル」はもっとずっと狭くて、片側交互通行。その交通整理のお兄ちゃんはバイトで、片側交互通行の旗振りをやってたのでした。今は立派な釜トンネル。
で。やっと通りかかったサイクリストのお兄ちゃんに頼み込んでパンクを修理して貰ったけど、もう日暮れ。その時間から標高差500mをこの自転車で漕ぎ上る気力体力勇気は残っておらず、そのすぐ上にあった「中ノ湯温泉」に泊まることにしたのでした。
以前考証したけども、現在の「中ノ湯温泉」は、ここから約200mの標高差を上ったところ。当時は、このしゅっと上にありました。
なんでも、安房トンネルの工事中に、その旧中ノ湯温泉近くで火山性の水蒸気爆発が発生して、移転を余儀なくされたんだそう。やはりトンネル工事って大変。その爆発のせいで、トンネル出口の位置も変わり、建設中だった取り付け道路の工事も取りやめになったとウィキに書いてます。こないだの未成線ではないが、建設が中止になった未成橋脚が、こんな感じで残ってます。
もう、40年前のこと。
あの頃の中ノ湯温泉は、川辺の方へと降りていく道があって、その先が露天風呂でした。今はずっと上に移転し、おしゃれになった中ノ湯温泉。
翌日必死に漕ぎ上った(なんせ、変速機がついてない自転車なので)安房峠は、当時と変わらぬ風情。トンネルができて、圧倒的に静かになった、安房峠。