弥生人の見た風景〔6644〕2021/06/24
2021年6月24日(木)晴れ
ここは高知空港の横。滑走路横の道路に沿って「展望ポケットパーク」というのがあります。少し小高く土を盛って、空港滑走路とかを見晴らせるようにした場所。
今朝は、出勤途中、そのポケットパークのすぐ近くの道端で、この写真撮影して来ました。弥生人の、ひょっとしたら縄文人の信仰について考える為に。
地理院地図の航空写真で見たら、この十字の場所。で、地形分類図で見ると、こう。この少し西の、かつての物部川流路に挟まれた部分が広くなってる場所。そこで発掘されたのが、田村遺跡。弥生時代600年間を通じて遺物や住居跡が出土する、南四国最大級の弥生遺跡。いや、発掘された竪穴式住居は500を数えるから、出土数で言えば日本有数。期間が長いことを差っ引いても、西日本を代表するような弥生集落があったのは、間違いないと言われてます。ウィキによると2000年ちょっと前の最盛期には1000人が暮らしてたとも言われる田村。すごい。
しかも、縄文後期の鐘崎式土器というものも出土してて、縄文の頃からかなりの人々が暮らしていた、田村。
その集落の中心地は、今は滑走路の下になってるので、今日はここからの風景で許してください。検証したかったのは、上岡山の見え方なのであります。
現在地がここで、弊社の氏神様上岡八幡宮が鎮座まします標高34.3mの上岡山が、ここ。田村の弥生人は、そして縄文人も、こういう感じで上岡山を見ていました。見事な神奈備山型だ。もちろん途中を遮る建物なんぞは無いから、田んぼと川の向こうに、そのまま上岡山。
視線を南へと移動すると、今の滑走路の中のこの場所に、標高28.2mの室岡山。明治期の地図で確認すると、弥生遺跡の場所から見た室岡山は、三輪山のような神奈備山型に見えたはず。
こないだ、上岡山はカミの丘で、室岡山はムロの丘、つまり神が坐ます丘であったのではないか、と書いたけど、本当にそうだったのだ。
間違いない。間違いないね。今は夏至の頃合で、日の出は真東から30度北へ振ってます。カミの丘の上に昇る、朝日。
そして春分や秋分の頃は、カミの丘とムロの丘の間に朝日が昇る。
こないだから紹介してます、中沢新一「アースダイバー 神社編」を読んだら、南の海からやってきたスンダランド系の縄文人が、そんな風景で神を感じていない訳がない、と確信できます。
縄文人や弥生人が実際に見ていた風景を再現して想像してみる。すると。
彼ら彼女らが見ていた風景を再現して想像すると、そこに彼ら彼女らの信仰が見えてくる、と、思うのです。朝っぱらから。仕事前やのに。
田村に暮らした縄文人や弥生人は、朝陽の昇るカミの丘、ムロの丘に、神を見ていました。この写真見たらわかるように、あの、三宝山の手前に見える上岡山は、見事な神奈備山だ。三輪山のような。そして、中沢新一の考え方だと、神奈備山や磐座は、神が降りてくる場所ではなく、「大地の力が吹き出る」場所であり、「霊力の固まり」だという。少なくとも縄文人や弥生人にとっては。
僕もそう思う。ここに立って上岡山や室岡山があった場所を見て、そう思う。朝っぱらから。仕事前やのにね。そんな人々の紛れもない子孫である僕らは、すっかりそんなこと、忘れてるけど。
たぶん、ここで田村遺跡発掘に携わった人でも、ここに暮らした人々が、あのカミの丘と、戦時中に取り崩されてしまったムロの丘をどう見ていたのかには、思いを馳せてないと思う。この、僕だけの発見にニマニマしながら、今日が始まりました。
さあ、今日も張り切って仕事仕事!