カミの丘とムロの丘〔6642〕2021/06/22
2021年6月22日(火)薄曇り
昨日、夏至と信仰について、書きました。中沢新一「アースダイバー 神社編」にも、有名な神社とかには現在の御神体になる以前の歴史があり、信仰があった、みたいなこと書いてます。伊勢神宮の「心の御柱」には、その古い信仰の痕跡が残ってるのではないか、という話とか。
縄文時代、弥生時代から僕ら日本人の心にあった信仰が、いろんな推移の中で、今もちゃんと痕跡を留め、残っているという話ね。
土佐一ノ宮、土佐神社でも、現在の加茂氏に関係する神様を祀る前は、地元の信仰があったのではないか、という話をこないだ書きました。礫石が磐座で、その信仰がそもそもあったのではないか、という考察。土佐神社には、他にも「御祭神は不明」という「西御前社」という摂社が鎮座してます。これも、なんか、古い信仰の匂いがするような気がして怪しいけど、どうなんでしょう。妄想かも知れんけどね。妄想するのはタダなので。
あと、高知では潮江天満宮。拝殿の後ろ側に小山があって、その上に大山祇神社さんが鎮座。四国山地の手箱山だか筒上山だかから勧請してきたとか伝えられるそうやけど、重要なのはその横の磐座。潮江天満宮が菅原道真公をお祀りする前は、その磐座が、信仰の中心ではなかったのか。そう思わされるような立派なチャートの巨岩が、山の上に乗っかってます。
チャートの巨岩と言えば、鉢伏山や介良富士の上にもあって、やはり磐座として祀られてきたのではないか。朝峯神社の御神体の巨岩も、確かチャートだったと思うし、その岩自体への信仰が、朝峯神社への信仰に繋がってると言えると思う。
朝っぱらから何を書いてるんでしょうな、僕は。
書きたかったのは、そういう有名な神社だけではなくて、身近なところにも、古い古い信仰があったのではないか、という話ね。会社の氏神様、野市の上岡八幡宮が鎮座まします上岡山。上岡は神岡で、八幡様や物部氏の神様が鎮座する以前より、神の山として信仰されてきたんだと勝手に確信してます。だって、いかにも神様が住んでそうな山に見えますもの。子供の頃からそう思ってました。写真は、今朝撮影した上岡山。
昔。物部川の本流が、もっと西にあった、弥生の頃。
田村に展開した大規模弥生集落に暮らす人々は、どんなものに神様を感じていたのか。
川沿いにこんもりと聳える標高33.9mの小山を、神の山と思っていたのではないか。
今は高知空港の滑走路になっているこの場所にも、命山と呼ばれた「室岡山(標高282.2m)」があった話はクドいほど書いてきたけど、上岡山と室岡山は、対になって、田村大規模弥生集落の人々に崇められてたと考えても無理はないのではないか。
上岡山は神岡山で、神の岡と呼ばれていたとすると、室岡山は室の岡だ。
この室生寺の縁起にも書いてるように、ムロはミムロで、ミムロは神の坐ます山のこと。大和で最も知られたミムロが三輪山。神奈備山。
上岡山と室岡山。つまり、神の岡と神の坐ます岡。この、ほど近い場所にある二つの小山、間から朝日が昇る二つの小山を、今から2000年前に暮らす弥生人たちが崇めていたという妄想も、あながち的外れではないような気がするけど、朝っぱらからこんな文章を20分で一気に書き散らかしている僕の頭の中には、こんな話がいつも渦巻いているのに違いない。