丸の内緑地のレンガ塀と柱。〔6535〕2021/03/07
2021年3月7日(日)晴れ
日曜日。やけど5時に起き出して、高知城界隈をたつくった後、会社へ来てます。高知城へ寄ったのは、これを撮影したかったから。
ここは丸の内緑地の北端。大きな公衆トイレのすぐ南東。藩政期からの石垣から生えたように存在する、赤煉瓦。これがいったい何の痕跡なのかは、以前から気になってました。そして丸の内緑地は今、リニューアル工事の真っ最中。お話では、大きくなり過ぎた樹木を伐採して芝生広場を整備し、史跡説明版などを置いてゆっくり寛げる広場にするんだとか。樹々に隠れて見えんなっちょった天守も見えるようにする、とのこと。
これについては色々と意見もありますが、新しい整備方針の中に、かの野村茂久馬さんの銅像ゾーン整備が入ってないのも、ちと問題になってます。史跡説明板を置いたりするのに、土佐史談会とかにはあまり相談なかったんでしょうかね。いや、大人の事情があったら知りません。
この場所は、明治維新後、女子師範、警察署、武徳館、公会堂と商品陳列所、農業会館、と、様々な建物施設が建てられてきた場所。僕らが子供の頃は、中央公民館でした。以前にも書いたけど、文化ホールはもちろん存在せず、高新ホールもできてない時代には、演奏会とかコンサートをやるのは、ここにあった公民館でした。ボロかったっすね、既に。座席が固かった。合同音楽会かなにかで、近所の追手前小学校から楽器かついで演奏しに行ったこともあります。
文化ホールができて、その公民館も取り壊され、公園になりました。高知城の中で、どういう訳かここだけが県ではなくて市の管轄なんすね。
で、このレンガ塀。
塀の部分は長手積み。そして柱部分は素敵なフランス積み。おしゃれだ。では、いつの時代につくられたレンガ塀なのか、考察してみよう。
この場所にあった大きな建物は武徳館。明治35年に建てられました。今井さんの絵葉書見ると、武道の殿堂だけあって、堂々たる日本建築だ。赤レンガの塀は、似合わない。
明治45年に建てられた公会堂は、立派な洋風建築。今井さんの絵葉書みると、公会堂の門の両脇には、レンガ積みの柱が屹立しておる。これだ。この建築思想と、石垣から生えるレンガ塀には共通する部分がありますな。あります。
そんな訳で、このレンガ塀は、明治45年に建てられた公会堂の一部ではないか、と推察するのであります。ここには、武徳館の門柱であったと思しき柱も、ひっそりと残ってますねー。少しづつやけど、過去の歴史が残されてるのが、嬉しい。整備でどうなるかは、気になりますが。
ところで整備計画によると、真ん中は広い芝生広場。ああ。
この緑地、高知街ラ・ラ・ラ音楽祭で、ロック会場として親しまれてきました。緑地の雰囲気が最高で、「土佐のウッドストック」と勝手に呼んで親しんできた丸の内緑地。まだ暑い盛りにやる音楽祭なので、木陰がとてもいいんですね。
芝生広場になってしまうと、暑い。とても、暑い。炎暑対策が必要になるなー、と、完成予想図を見ながら嘆息したことでした。
ともあれ、レンガ塀については、なんとなくわかってきました。史跡説明版ももちろんいいけど、これも立派な史跡です。柱もね。