稲荷新地の高知測候所が描かれた絵馬〔6458〕2020/12/20
2020年12月20日(日)晴れ!
「月刊土佐」昭和63年8月号に、香我美町(現在の香南市)の若一王子宮に掲げられてる絵馬の記事が載ってました。その絵馬は、明治19年11月に、高知市の新市町に住む畠中政蔵さん、亀吉さんがご寄進されたもの。お二人は岸本(香我美町で、吉村昭さんの小説「漂流」の主人公、無人島長兵衛さんの出身地やね)の生まれで、新市町で商売をやってたと思われます。
興味深いのは、その絵馬に描かれている風景。稲荷新地の西上空から浦戸湾方面を見た鳥瞰図になってるんですけども、今まで見た鳥瞰図とかとは少し趣きが違う。違います。
当時稲荷新地には、得月楼もできてて、たくさんの料亭・芝居小屋などが並ぶ繁華な街になってた訳やけど、その繁華な新地は、浦戸湾沿いにシレっと描かれてます。ただ、丸山台を含め、船の往来とともに、賑わっていたことは伝わってくる絵馬。でも一番目を引くのは、新地の西に描かれている洋館。
最初にこの絵を見たとき、得月楼をデフォルメして描いてるのかと思うたけど、よく見ると洋館なので、違います。こんなところに素敵な洋館があったこと、知りませんでした。
その正体は。
「高知測候所」
その素敵な洋館は、明治15年に建てられた県立高知測候所だったのでした。あまり知られてないですね、この話。
勝海舟の門人だった荒尾郁之助という人物が、内務省地理局測量課の課長になりました。これは後の東京気象台になる役所。なので荒尾さんは、初代気象台長、ということになる訳ですな。で、ドイツ人技術者などを使いながら全国に13ヶ所、測候所をつくったのでしたが、その一つが、高知測候所。
洋風建築の4階建て。この夏にご紹介した「東京名所図」の小林清親が描いた「海運橋(第一銀行雪中)」を連想させるような絵が、この絵馬には見事に描かれております。すごい。
この絵馬だけでは、その測候所が現在のどこにあったのか、正確に同定することは難しいけど、土佐稲荷神社が描かれてないから、稲荷神社と新地の間にあったのでありましょうか。
しかし。高知地方気象台のウィキを見ると、明治15年に建てられた美しい高知測候所は、明治21年には高知城の二の丸に移転してますね。明治15年から明治21年の、たった6年間存在した、稲荷新地の測候所。この絵馬は明治19年なので、その短い期間をピンポイントで描いた貴重なもの、ということになります。
たった6年間。だから、あまり知られてないのも頷ける。
移転していった後、この立派な建物はどうなったんだろう。そしてその跡地は。
いろいろ気になるけども、よくわからない。
今朝、その若一王子さんにお参りして、拝殿の、閉まっている扉の、お賽銭入れる小さな隙間からデジカメを突っ込んで、フラッシュ焚いて撮影してきました。拝殿の隅に掲げられてる、くだんの絵馬。
この不思議な構図の絵馬が今に残されていることに感謝しつつ、年末の日曜日を始めよう。例年とはまったく違う、コロナの中の、年末の日曜日。