黄金ヒバの物語〔6426〕2020/11/18
2020年11月18日(水)晴れ
畜産に関わる仕事をしてますと、高知の畜産の歴史も、少しは知っとかんといけません。酪農の歴史については少し触れてきたことありますが、今日は馬。酪農や肉用牛、地鶏もそうやけど、馬事行政も、県庁畜産振興課のお仕事だったりします。おんなじ、畜産。
高知の馬事行政や競馬の歴史について、そこに長年係られた土佐史談会会員の長山先生が、いろんな論文を書かれております。「昭和初期の馬政と高知競馬」という論文は、第35回平尾学術奨励賞を受賞している優れたお仕事。このにっこりでも、長山論文に基づいて、新川の草競馬場や星ヶ窪の競馬場をご紹介したこと、あります。公営競馬でも、山田にあった競馬場の痕跡を探したり、長浜競馬のカーブを発見したりしました。
その長山先生が、馬事往来という雑誌に新しい文章を投稿しておられたので、今日はそれを少しだけご紹介しますね。
題して「高知競馬場 黄金ヒバの物語」。
現在の高知競馬場。Googleマップで見ると、こう。パドック付近を拡大すると、これで、ストリートビューで見たらこれ。パドックの真ん中に、樹木が見えます。これが「黄金ヒバ」。
パドックは、出走馬が周回して、観客に馬の状態を見せる場所。なので、真ん中に樹木があると邪魔になってしまう。全国の地方競馬でも、パドックの真ん中に樹木があるのはここだけなんだそう。なんで、こんな樹が立っているのか。今回の論文は、その、今は誰も知らない謎に迫ります。
昭和53年に全国植樹祭が高知で開催された折、山田の現在の鏡野公園のところにあった林業試験場で「お手まき行事」が行われ、そのお手まき会場の後方を彩る樹木として選ばれたのが、「黄金ヒバ」でした。ヒノキの園芸品種である「オウゴンクジャクヒバ」が正式らしい。
その林業試験場は、かつて種馬所があった場所。年配の方は、今でもあの場所を「種馬所」と呼びますもんね。
そういった馬政に関わる場所にあった、昭和天皇ゆかりの樹木ということで、高知競馬が桟橋から現在地に移転する際、そんな歴史をご存知の林業試験場の方が、高知競馬場新装オープンのハナ向けにと寄贈してくれたもの、なんだそう。
今回の論文は、黄金ヒバをきっかけにして、高知の種馬所の歴史をひもといています。田嶋下學さんという先人の功績や、地元の人々の熱意などなど。熱い熱い思いが、高知の馬事を支えてきた歴史が、愛情をもって描かれています。先人の努力あってこその、今。
この黄金ヒバの由来や、高知の馬事の歴史など、ともすれば忘れ去られていくことども。それをこうやって文章に残していってくれるのは、大変素晴らしいこと。
先人の努力を知らずして、高知の畜産は語れない。