旅と移動と食堂車〔6283〕2020/06/28
2020年6月28日(日)曇り
高知。昨日の夕刻の飛行機で、帰高しました。飛行機の便数は半分ですが、それでもガラガラ。すきすき。コロナの影響は、まだまだ続きそう。感染者の数も減らんしね。
昨日乗った飛行機、羽田を16:55に出発し、高知空港着が18:15。偏西風に逆らって飛ぶから、所要時間は1時間20分。手元の1981年ポケット全国時刻表を見ると、当時の羽田高知は2時間10分。
新幹線もどんどん速くなってて、かつての「ひかり」よりも現在の「こだま」の方が速い区間があるとかなんとか、記事で見ました。
そしてリニア新幹線。静岡が反対して開業が遅れるとかいう記事が目を引きます。しかしまあ、どんどんどんどん速くなって、それからいったいどこへ行くのか。
ここで今一度、1981年の時刻表を眺めてみたい。
一昨日書いたように、国鉄(JRはまだ無い)を利用して高知から東京へ行こうとすると、10時間近くかかってました。ちなみに現在は、6時間ちょっと。まあ、今でもかかるっちゃあかかるね。
この時刻表をみて、いろんなこと、思い出しました。
新幹線の時刻表の見出しは「新幹線」。そう。当時、新幹線と言えば東海道山陽新幹線であり、東京から博多でありました。東北新幹線とか上越新幹線とかも無いから、始発から終点までがひとつの時刻表で完結していた。だから「新幹線」でよかったのだ。そんな時代。
寝台列車が多い多い。どの路線も(四国と北海道以外)、深夜は寝台特急だらけ。こんな感じで。寝台でなくても、夜行列車も多いね。寝台特急はお値段がそこそこするので、僕らお金のない学生は、もっぱら夜行列車を使ってました。
これ見ると、西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅ね)12:22発の寝台特急「はやぶさ」は、翌日の10:30に東京駅着。
22:10大阪駅発の寝台急行「きたぐに」は、翌日の17:10に青森駅着。
これ、今あるみたいな豪華な企画列車とかではなくって、普通に僕らの足、交通手段として寝台や夜行が普通に存在してた訳です。そんな時代。
寝台特急には、食堂車のマークがついてるの、多いっすね。そう。食堂車というのは、なんとも旅情をかきたてる存在。僕は時刻表マニアで、いろんな寝台特急に乗ったつもりにはなってたけど、そんなに乗ってません。だって、結構高いんだもの。普通の夜行列車には食堂車がないのが、辛かった。
社会人になり、新幹線に乗るようになってから、新幹線の食堂車を好んで利用するように、なりました。
混んでるときなんか、自由席のチケットで、そのまま食堂車に乗り込み、カレー食べてビール飲んで過ごすのが僕の至高の贅沢でした。
そんな贅沢感の名残りが、今も豪華企画列車の豪華レストランにつながってるのかも知れんけど、僕の願いは食堂車の復活だ。豪華列車に興味はない。「移動」が目的になってないから。
もし、リニア新幹線が開業したら、東海道新幹線の立場は、かなり微妙なものになるでしょう。そこで、リニアにない、新幹線の楽しみ方として、食堂車を提案します。ああ。食堂車。
1981年の時刻表は、あの頃の鉄道風景に僕を誘い、妄想を暴走させる。
この時刻表は、たぶん、東京から帰省するときに駅で買ったもの。どういう訳か捨てずに残ってた、時刻表。これ眺めてるだけで、時が経つのを忘れてしまいます。
そうだ。思い出した。僕は時刻表マニアだった。