銀座〔6282〕2020/06/27
2020年6月27日(土)蒸し暑い
あまり大きな声では言えんのですが、東京です。昨日、ガラガラの飛行機に乗ってやってきました。何ヶ月ぶりの出張でしょうかね。まだまだコロナは危険やけど、仕事もぼちぼちやらんとね。
しばらく来んかったら、羽田空港国際線ターミナル駅が羽田空港第3ターミナル駅になってて驚きました。そうそう。高輪ゲートウェイ駅もできてますね。
今朝は5寺半に起き出して、久々の東京RUN。でも腰痛イワしてるので、5kmばかしのお手軽RUN。まだ車も人も少ない銀座、日本橋界隈を走って参りました。
東京って、マスク着用率高いです。少なくとも、高知に比べたら格段に高い。道歩いてる人、ほとんどの人、マスクしてます。ただ、ランナーの着用率は半分くらいでしょうかね。僕はもちろん着用して走りました。こじゃんと暑くて死ぬかと思いました。
ここは銀座。中央通り。銀座を象徴する場所、服部時計店の交差点。服部時計店は、今は和光本店やけど、セイコーホールディングスの登記上の本店は、今もあの場所にあるとウィキに書いてます。
ひまわり文庫5月の新刊で「大東京繁盛記」という本、紹介しました。昭和2年、東京日日新聞が企画した連載を本にしたもの。当時の著名な文士や画家に、東京の風景を描かせてます。昭和2年の「現在」や、明治の頃の思い出を織り交ぜて。これ、とても面白い本。
その中に、かの岸田劉生の「新古細句銀座通」という文章がありました。この漢字に「しんこざいくれんがのみちすじ」とルビがふってて、なかなかにお洒落。その書き出しは、こう。
「私は明治24年に銀座の二丁目十一番地、丁度今の服部時計店のところで生れて、鉄道馬車の鈴の音を聞きながら、青年時代までそこで育ってきた。」
今、この交差点は銀座4丁目やけど、それはそれ。2丁目にも服部時計店があったんでしょうかね。どっちにしても銀座ど真ん中。岸田劉生さんちは、目薬「精錡水」で有名な薬屋で、父はなかなかの実業家だったのでした。
「新古細句銀座通」では、今も見えるお店が描写されてたりします。
「鳩居堂がここへ移ったのはいつのことか・・・」
「木村屋というパン屋は天下に有名であって、私共子供にとっては忘れられぬパンの幾種類かの製造元である。」
「山野楽器店も相当古い。」
「御木本はこちとら貧画生にはあまり用はないが・・・」
「警醒社は教文館と相まってキリスト教的色彩の濃い店である。
今朝のこの写真にも写っている店々。銀座4丁目交差点の地図を見ても、わかります。「大多数はどんどん移り変わって行く」と岸田劉生が表現している銀座ですが、昭和2年の文章にあるお店が今も同じ場所にあるのを見ると、ちょっとしたタイムスリップ感が味わえたりも、します。
そんな東京。
このコロナ騒動で、リモート商談が簡単にできることもわかったりました。これからはひょっとしたら出張、減るかも知れませんね。これを機会に、東京一極集中とは逆の動きが始まればいいのに、などと、オリンピックが延期になってちょっと寂しそうな東京へやってきて、思ってます。