まっこと、のうがよかったがちがう〔6247〕2020/05/23
2020年5月23日(土)晴れ
定点観測17年、5月23日。五台山の展望台から見た、浦戸湾。
同じ風景を、17年前の今日、撮影しています。浦戸湾には大阪高知特急フェリー。懐かしの大阪高知特急フェリー。17年前にも書いたけど、あのフェリーは、毎夜9時20分に大阪と高知をせえのおで出発して、朝7時頃、はや、あっちに着いてました。ああ。懐かしいCM。
あのフェリーが廃止になったのは2005年6月のことだから、あの17年前から存続したのは2年間。その間に、何度も乗ってますね、僕。
2004年4月4日には、高知から乗って大阪南港。
7月には、大阪から帰ってきた朝、甲板の上から見上げた浦戸大橋。
どうやら、それが最後の大阪高知特急フェリー。
一番古い思い出としては、僕が小学生の頃。ウィキ見ると、その頃はまだ「大阪高知特急フェリー」ではなくって、「大阪高知フェリー」。就航したばかりのフェリー。そのフェリーに、当時としては珍しかった三角パックの自販機があって、その自販機の修理に行く父親に連れられて行ったのでした。豪華なフェリーの船内が、眩しかった。僕は眩しかったけど、出港までに自販機を修理せんといかん父親は大変やったと思う。そんな思い出。
中二の時、母校の野球部が甲子園に出場し、ブラスバンド部員の僕らは、大阪高知特急フェリーで甲子園へと乗り込みました。中高一貫で、吹奏楽部は中高一緒だったので。あれもまた、懐かしい思い出。甲子園って遠かった。一回戦勝ったら、僕ら応援団は、一週間後の次の試合まで、甲子園の近所の幼稚園に泊まり込んでたくらい、遠かった。そんな時代の特急フェリー。
ウィキ見ると、最後に使ってたあのフェリーは、ギリシャに売却されてます。今も元気に稼働してるんだろうか。魅惑の地中海で。
学生の頃は二等なので、広い絨毯に雑魚寝。
でも仕事で、出張で使い始めてからは、ちょっと贅沢に「特二」とかいうの、使ってました。四人部屋の寝台があって、ぐっすり眠れます。何より、お風呂が使える、特二寝台。そんなに高くなかったけど、ちょっとした贅沢気分が味わえてました。
湯船のお湯が、船の揺れに合わせてザブーンと揺れてたのが懐かしい。
高知で会合があって飲んでても、夜、これに乗れば翌朝一番から大阪で仕事ができました。
大阪でお客さんと飲んでても、これで高知へ帰れば朝から仕事。
あの頃は、まだ、そんなに関西圏にお客様もなかったけど、今だったら。
今、もしあのフェリーがあったら、便利に使えるんですけどねー。
まっこと、のうがよかったがちがう。
そうそう。この展望台も、取り壊すことが決まってます。だからこのアングルも、見納めが近いのであります。
変わる。変わる。世の中は、変わる。