お疲れ様でした〔6212〕2020/04/18
2020年4月18日(土)晴れ
昨夜は降りましたが、夜明けとともに晴れ上がった、高知。あたり一面、春の色。
そしてコロナの状況は益々深刻の度が増しており、高校の同級生が東京で開院してる内科クリニックでも、遂に、患者さんの中から感染者がでた、とのこと。大変です。
そんな世の中、そんな社会状況だけども、それはそれとして世の中は動く。動いていきますね。
今朝の新聞に、衝撃的で、そしてある程度予想はしてた記事が、載ってました。豊ノ島引退。
ああ。豊ノ島関引退ではなくて、豊ノ島引退。あれだけ幕内上位の土俵を沸かせたナイスガイも、幾度もの怪我と体力の衰えには勝てず、遂に引退を決意されたのでした。残念だけど、仕方ない。本当にお疲れ様でした。そして、長年楽しませてくれたことに、感謝申し上げたいと思う。ありがとう!
豊ノ島は36歳。プロの相撲取りとしては、かなりの高齢。2002年1月に初土俵というから、このにっこりを始める1年前。つまり、18年間、プロの土俵で頑張ってきた訳だ。
このにっこりで初めて豊ノ島のこと書いたのは、2007年4月のこと。もう、13年前になります。小兵ながら、持ち前の運動神経、運動能力の高さでどんどんと番付を上げていき、三役に手が届くとこまできてた、2007年4月のこと。
もちろん相撲も素晴らしいけど、当時、ブログとかを見て、人間としての素晴らしさを確信したので、いっぺんにファンになりました。その直感は、間違っていなかった。
それから、2008年8月、2009年3月、2010年1月、2010,年9月、と、このにっこりで豊ノ島関に触れてます。よっぽど好きなんですね。そして2011年2月。大相撲野球賭博問題に関与した、とされた事件の最中にも、豊ノ島関を応援してますねー。謹慎全休で十両に陥落したけど、その場所と、その次の場所がすごかった。
十両優勝で圧倒的な実力を見せつけると、翌場所は幕内の優勝にからむ大活躍。白鵬との優勝決定戦には敗れたけど、豊ノ島の「不屈の闘志」「精神力」を見せてくれましたね。こんなふうに単語にすると安っぽいけど、とにかく豊ノ島はすごいのだ。
でも、本当にすごかったのは、ここから。
長く幕内上位で活躍したけど、2016年7月、稽古中にアキレス腱断裂。11月まで休場して、幕下まで陥落した、豊ノ島。
その頃、このにっこりで、豊ノ島のこと、書いてます。そして豊ノ島は、十両復帰著前まで頑張るも、また怪我が悪化して、負け越す。
普通なら。
ここで諦めてしまう。だって、幕内で十分に活躍したし、もう、結構な年だし、その人格や頭の回転の良さで、引退しても、親方や解説者として、まったく困らんだろうと思われたから。僕らも、引退やむなし、と思った。
でも、彼は諦めない。
そして遂に十両復帰。涙がでました。
そして去年、なんと幕内まで帰ってきた、豊ノ島関。
度重なる怪我と体力の衰えの中、ここまで頑張った、豊ノ島。
そして限界を迎え、今年になって幕下陥落。ここで、みんな、さすがに今度こそ、引退やむなし、と思った。思いました。でも、小さい娘さんの応援もあって、まだ頑張るんですね、豊ノ島は。更に頑張って幕下で相撲を取るも、昨日、遂に引退を発表したのでありました。
いや、このダラダラした文章で、僕がいかに僕が豊ノ島を尊敬してるのか、おわかり頂けたのではないだろうか。思いが強すぎて、こんな文章になっちゃいました。ああ。
皆さんには、今一度、ここに書いたエピソードを読んでもらいたい。
この人格。お人柄。能力。頭の良さ。
これからの益々のご活躍を確信してます。
本当にお疲れ様でした。