国分川、医大、長宗我部、コロナ、17年〔6210〕2020/04/16
2020年4月16日(水)晴れ
そんな訳で、昨夜は走って帰りました。最近のマイブーム、国分川沿いコースで。
車を停めるのは、ここ。医大の北のパーキング。そして、国分川に出て、土手上の道や土手下の水辺を走って走って。
コロナ騒動で、外を走ってもいいものかどうか、そしてそれに対して世間はどんな空気なのか。
そんなこと考えてたら、コロナ禍の中で感染しないように走る条件を、かの山中伸弥先生の新型コロナ特設HPに、書いてました。このように。その情報の出典は、これ。
つまり、ジョギングでは、前後ろの人と10m以上開けましょうね、ということ。ウォーキングでは4m、自転車だと20m。これは、複数人で一緒に走ったりするときのルールね。これを守り、注意万全で走れば大丈夫ということですね。他ならぬ山中先生の情報ですきんね。
そんな訳で、走って帰りました。
上に書いたルート、前を走る人も後ろ走る人も、いません。いたとしても、たぶん数百メートルから数キロは離れてるから、感染はしないと思います。すれ違う人も、ほとんどいませんでした。
そして今朝は医大北のパーキングまで、自転車。時間が時間なので、まだ真っ暗だし、誰も歩いてないし走ってないし、自転車なんか、見かけもしないし。それこそ、家を出てからパーキングまで、歩行者や自転車にはまったく出会いませんでした。皆無。
そんなことで、安心して走って帰り、安心して自転車を漕いだのでありました。こんなとき、高知っていいね。
写真は、今朝4時半の国分川。左の明るい建物が高知大学医学部と大学病院。向こうに見える山は、長宗我部の本拠、岡豊山。
豊かな水量に見えるけど、このすぐ下流にある堰で堰き止められてるので、こんな感じ。
元々の国分川の水量って、どんなもんだったんだろう。汽水は、どこまで上がってきてたんだろう。いつも、そんなこと、考えます。だって、古代国衙が置かれたのも、長宗我部が発展したのも、国分川沿いだから。川は、どんなに流れて、どのように利用されてたのか、興味は尽きません。
でも、江戸時代の頃には、今よりもかなり水量、少なかったんではないか。
理由。
今の国分川には、甫喜ヶ峰疎水の水が流れてるから。
明治33年に甫喜ヶ峰疎水が開通するまで、国分川上流の新改川や領石川は水量が少なくて、灌漑用水がすぐに足らなくなり、深刻な水争いがしょっちゅう起きてた、という話は、以前、幾度も書いてきたにっこりひまわりです。吉野川の支流、穴内川からトンネルを抜いて香長平野へ落としてくるという壮大なインフラは、僕らの先人の努力の賜物。甫喜ヶ峰疎水が高知にもたらした恩恵は計り知れず、灌漑用水、生活用水、そして電力が、明治末期から大正昭和にかけての土佐を潤したのでありました。
水量の話でした。
今は、本来紀伊水道方面に流れるはずであった水を加えて流れる国分川。甫喜ヶ峰疎水が流れてくる前、ここには、今と違った川の風景があったのかも知れません。風景には、幾星霜の人の営みによって変化がもたらされ、そして、新しい風景がひらけてゆく。
さて。
こんなコロナ騒動の最中ですが、このにっこりひまわりは、明日で17周年。2003年4月17日に、高知城二の丸でスタートしたにっこりひまわりが、明日で17年となるのであります。
一日も休んでないから、連続6211日。閏年が5回、通常年が12回で、365×12+366×5=6210。今日が6210日目だから明日が6211日で、計算、合ってます。見事なもんだ。
17年間毎日更新でつづけてきたにっこりですが、17年目を、こんな騒動の中で迎えるとは想像もできませんでした。世の中の不思議。僕らは、地球の、大自然の、そして宇宙の絶妙にして微妙なバランスの上で、生きている。