That is a never-ending story〔6202〕2020/04/08
2020年4月8日(水)晴れ
今朝の空は、春霞み。どこまでも青く白く。桜満開春爛漫。
ここは国分川。布師田の鉄橋。昨夜は医大近くの安いパーキングに車を停めて走って帰ったので、今朝はそこまで自転車出勤。真っ暗い国分川の土手上は、まだ早すぎて、誰もいない。
そしてスーパームーン。スーパームーンというらしいっすね。なんでも、お月様が、今年一番大きく見えるので、それをスーパームーンと呼ぶんだとか。自転車を折り畳んで積んで、会社まで向かう車でラジオつけたら、そう言うてました。知らんけど。
ともあれ、たしかに、きれいなお月様でした。
コンデジのシャッターを7秒開けて撮影したら、西空に沈んでゆくお月様が、まるで夕陽のよう。
汽水の川には、浦戸湾からの薄い海水と四国山地の流れ出す清い水が混じり合う。かつて。古代から中世にかけて、ここをたくさんの舟が往来していたのか。
浦戸湾を通じて外界とつながるこの川があったから、少し上流の北岸には弥生終末期から人が住み着き、古墳が構築され、そして長宗我部が栄えたんだと思う。
この水量は、過去からの気象の変化、土砂の堆積、流路の変遷などによって、増えたり減ったりしてきたんだと思います。その水量、流れが、土佐の政治の中心を、国分界隈にしたり田村界隈にしたりしてきたと思ってます。
もし、古代と同じように、今も高知の市街地が広い広い浦戸湾の浅海底だったら。県庁が置かれるのは、やはり、この国分川沿いだと思う。古代と同じように、国分比江界隈とか。
もしくは、前浜あたりに港湾を整備して、田村界隈が県庁になったかも知れない。
かつての土佐で田村や国分が栄えたのは、その地理的地形的条件により、当然の帰結であった訳で、もしその条件が今も変わってなかっとしたら、今も土佐の中心はおそらくそのどちらかになってたと思われる訳で、人間の考えること、やってることって、そんなには変わらんもんだと、しみじみ思うのは僕くらいかも知れません。
そう。人間が大自然と付き合い、折り合いをつけてきた歴史は、変わらない。
伝染病、感染症も、そう。古代で有名なところだと、絶大な権力を誇った藤原不比等の4人の息子が揃って亡くなったのは、天然痘だと言われてますよね。
こんな歴史、繰り返し巻き返し繰り返し巻き返し。
そうそう。
この鉄橋が架けられたのは、98豪雨で大津が浸水し、この東側でJR線路の土台が流されて崩壊した後だった。ここができるまで、しばらく土讃線、不通になってましたよね。思い出しました。3ヶ月間、不通だった。でも、復旧した。立派になって。
そんな大自然との戦いも、繰り返し巻き返し繰り返し巻き返し。
そして、克服し、新たな試練に立ち向かい、克服し、立ち向かい、克服し、立ち向かい、克服し・・・・・・