英雄 大高坂松王丸〔62〕2003/06/17
2003年6月17日(火)曇り時々雨
今朝は久しぶりに高知の街中をグルグルと走り廻ってきました。雨が心地よかったです。
写真は、高知市役所前にある「大高坂松王丸(おおたかさまつおうまる)」の記念碑。昨日の杓田城跡に引き続き、地元の人もあんまし知らん史跡をご紹介しましょう。
鎌倉幕府が崩壊し、後醍醐天皇や新田義貞、楠正成、それに足利尊氏などが覇権を争った時代を「南北朝時代」と呼びます。西暦1330年代ぐらいのお話です。
1338年に新田義貞が敗死し、京都では足利政権が「北朝」を確立、後醍醐の「南朝」は、奈良の吉野へこもりました。後醍醐の息子達は西日本に散らばり、各地で南朝再建への足掛かりをつかもうとします。有名なのは九州へ下向した征西将軍宮懐良親王ですよね。菊池武光と共に一次は九州を統一します。その懐良親王の兄「花園宮」は、土佐へ下向して来ました。そして、今の高知市中心部領主大高坂松王丸らとともに北朝方の細川顕氏と対戦します。
松王丸を中心とする南朝方は、現在の高知城のある山の「大高坂城」を拠点に4年間激戦を繰り広げますが、1340年1月24、25日の決戦に破れ、大高坂城は陥落、松王丸は敗死しました。
高知城の南斜面、梅の段の少し下に、松王丸の居城跡がありますので、機会がありましたら見てみて下さいね。