八幡様、丸石谷積〔6172〕2020/03/09
2020年3月9日(月)晴れ!
昨日は久々に潮江天満宮だったので、今朝は久々に上岡八幡宮。弊社がある南国市物部の産土神。物部川の対岸だけども、氏神様。昔、物部本流がもっとずっと西だった頃の名残でしょうか。
今朝は4時過ぎに出勤。ふた仕事ほど済ませ、6時前にお参りしてきました。明るくなるの、早くなってきた。東の空はかなり明るい。もう3月ですきんね。まだ朝晩は少し寒いけど、日中はかなり暖かくなってきてます。
気温が上がると新型コロナウィルスも収まってくる、とか、コロナは収まらない、とか、いろんな話があります。未知のウィルスだから、本当のところは、まだよくわからない。人類にわからんことは、取り敢えず神様にお願いしときましょう。
今朝のお月様は美しい。真ん丸。まんまる。朝6時前。西の空へ沈みゆくお月様が、参道から見えてます。そうそう。こっからお月様の方へ向かう道も、嘗ては参道でした。その向こうに物部川の渡しがあり、近在の皆さんも旅人も、みんな渡し舟を利用して物部川を渡っていた、橋のない時代。
その渡し舟の辺りまで遡上してきたのが、安政南海地震の津波。幾度かご紹介したように、この八幡様の参道入口脇には、そのことを刻んだ地震碑が建てられてます。
東日本大震災から明後日で9年。もう9年なのか、まだ9年なのか。あまりにも被害が大きすぎて、わからない。そして原発の被害は、今まで列島を襲ってきた地震災害の範疇を超える。
9年が経過し、現地以外では風化が心配されるようになりました。でも南海トラフの北に住む僕らにとっては、危険は増してゆくばかり。
この八幡様の山は、大昔から「命山」として、近在の人々を津波や大洪水から守ってきた山。この石段には「文化十四年」と刻まれてるので、1817年。もう、200年以上、この石段を多くの氏子さんが登ったり降ったり。チャートだから固くって、擦り減ってもいません。
1854年の安政南海地震、1946年の昭和南海地震。
二つの南海地震にも耐えて残ってきた、石段。その左側の丸石の石積みは、いつ頃組まれたんだろう。いわゆる「丸石谷積」に見えます。「石積の秘法とその解説」によりますれば、「型に異なる大・小・中混合の石を積み上り、自然の積口の谷に応ずる石の型を見立て無理をしないように技術的に順序よく右の谷へねかし、左の谷へねかし、何れも谷から谷へ落し込み、玄翁を以て十分に締めながら」積むのが、丸石谷積。
一つの石の周囲に接している石の数は、6個。これを「6つ巻」と言いまして、とても良い積み方らしいです。7つ巻、5つ巻はかまんけど、8つ巻、4つ巻は、ダメ。石積みの鉄則。丸石谷積は、「古流の積み方」「石積の粋ともいう」と書かれてて、なかなか丈夫、頑丈、崩れにくいとのこと。
物部川の氾濫原なので、砂岩の丸石はいたるといころに転がってますから、それを利用して、地震にも崩れないような石積みを残してくれた先人たち。
あれから9年。今年はコロナで追悼式典なども中止になったり縮小したりですが、忘れてはならない3.11。また、あの日がやってきます