田山花袋と国木田独歩の渋谷〔6158〕2020/02/24
2020年2月22日(土)曇り
手元に、田山花袋の「東京の30年」という古い文庫本が、あります。
今朝、会社にやって来て、ホットミルクを飲みながら撮影したのが、この写真。
こないだ、中古で手に入れた昭和30年刊行の文庫本は、もう、ボロボロ。読んでるうちに表紙が取れ、次の頁が取れ、といった状況になってしまった。文字も小さくて字体もかなり古いけど、その内容に対しての本の状態が、なかなか微妙に良い感じを醸し出しております。こういう時代の本は、こういう字体、表現で読む方がいいですね。臨場感が違う。
馬場孤蝶の「明治の東京」があまりに面白かったので、ひまわり文庫今月の新刊で紹介したように、田山花袋「東京近郊 一日の行楽」と国木田独歩「武蔵野」を読んでしまった訳だけども、この本もその延長線上にあります。
田山花袋が、大正になってから、自分がまだ子供だった明治10年代の東京、少年時代、そして小説家を志した青年時代の東京を、なつかしく振り返りながら、見事に描写している本。「東京の30年」。
この本の中に、武蔵野に住む国木田独歩を、田山花袋が初めて訪ねていくときの風景が描かれてます。現在の風景とのコントラストがあまりにも衝撃的なので、今朝は、Googleマップや地形図に照らし合わせながら読んでみたいと思います。この地形図で、十字の場所、丘の上が、国木田独歩の家。
それは、昭和29年11月のこと。
渋谷、道玄坂の宿に宮崎湖処子を訪ねたが不在で、近くに住んでるらしいと聞いてた若き国木田独歩25歳を訪ねていってみることにした田山花袋24歳。
「渋谷の通りを野に出ると、駒場に通ずる大きな路が楢林について曲がっていて、向こうに野川のうねうねと田圃の中を流れているのが見え、そのこちらの下流には、水車がかかって頻りに動いているのが見えた。地平線は鮮やかに晴れて、武蔵野に特有な林を持った低い丘がそれからそれへと続いて眺められた。私達は水車の傍の土橋を渡って、茶畑や大根畑に沿って歩いた。」
ー中略ー
「少し行くと、果たして牛の五六頭ごろごろしている牛乳屋があった。
ー中略ー
紅葉や植込みの斜坂の上にチラチラしている向こうに、一軒小さな家が秋の午後の日影を受けて、ぽつねんと立っているのを認めた。」
ー中略ー
「縁側の前には、葡萄棚があって、斜坂の紅葉や若樹を透して、渋谷方面の林だの水車だのが一目に眺められた。」
その後、しょっちゅう、丘の上の見晴らしの良い国木田宅を訪ねるようになった田山花袋。
「丘の上の後方には、今と違って、武蔵野の面影を偲ぶに足るやうな林やら丘やら草薮やらが沢山あった。私は国木田君とよく出かけた。林の中に埋れたようにしてある古池、丘から丘へとつづく路にきこえる荷車の響、夕日の空に美しくあらわれて見える富士の雪、ガサガサと風になびく萱原海原、野中に一本さびしそうに立っている松、汽車の行く路にかかっている橋・・・」
こんな風景のなかで、田山花袋と国木田独歩の友情は深まっていったのでありました。
上記の文章は、ここからここを通ってここまでの道だと思います。
国木田独歩が「武蔵野」で表現し、愛した風景は、今は昔。とても貴重な文章ですよね。
なにげなく「今」を切り取っておくことの、大切さ。