福知山城、光秀、砂岩、チャート、花崗岩〔6153〕2020/02/19
2020年2月19日(水)晴れ
人生初福知山。京都府福知山市。もちろん、仕事です。
大阪界隈を福知山線の電車がバンバン走ってるので、大阪からちっかいと思ってますよね。でも、電車で行くと、遠いんです。三ノ宮からだと特急こうとのりを使っても、2時間近くかかるんですね。車だと高速通って1時間で行けるけど。
で、かつては畿内と山陰方面をつなぐ交通の要衝。だから、織田信長は、この方面を明智光秀に攻めさせたんですな。NHK大河ドラマ主人公、明智光秀ゆかりの福知山。
そもそも福知山という名前をつけたのは光秀と言うし、現在の福知山城の縄張りをやったのも光秀。城下町として栄える礎を築いたのが、明智光秀と言われてる福知山。大河のおかげで観光客さんも増えてるそうです。
僕はもちろん大河とは関係なく、仕事で来てます。
で、福知山城。この天守は、昭和61年の再建天守。なかなか立派ですが、再建天守。石垣は、光秀によって築かれたものもたくさん残ってるので、それはかなり魅力的でありました。どんな石を、どんなに組んでるんだろうか。
こないだ書いたけど、土佐で、初めて石垣が本格的に築かれたのは天正15年。1587年。元親が、大高坂山に城を築くに際して取り入れた最新技術でした。
でも、明智光秀がここに石垣を築いてお城を建てたのは、それよりも8年も前。1579年のこと。さすが、信長重臣にして実力者だ。
さて。どんな石積みだったでしょう。
なんとなく花崗岩を想像してたけど、全然違いました。ほぼほぼ、砂岩ではないか。しかも、チャートもある。そう。地質図で見ると、この界隈は花崗岩地帯ではなく、また、火成岩地帯でもありませんでした。付加帯。
砂岩優勢の、野面積みでした。なるほど。行ってみんとわからんもんだ。
で、よく見てみると、所々に少しだけ花崗岩。それも、石垣用ではないような形状に加工された花崗岩。ところどころに見えるのが、不思議でした。
これ、有名なんですってね。浅学にして、知りませんでした。転用石。
光秀が築城する際、この界隈に多かったお寺さんとかの五輪塔とか宝筐院塔とかを取り壊して転用してるんだそう。理由は。旧勢力の菩提所を破壊して石垣とすることで、旧勢力否定のシンボルとした、とされてます。さすが、信長重臣。逆にお城を守るおまじないにしたとかいう説もあって、こっちの方が光秀のイメージに合うけど、真相は闇の中。とにもかくにも、再利用して石垣の各所に埋め込まれたのは、間違いありません。これはちょっと、珍しいっすね。
そういった宗教的なオブジェは、当時は花崗岩が使われてたんでしょう。遠くから運んできても、花崗岩か、安山岩。
と、まあ、夜明け前の福知山城で、石積みを楽しんできたのであります。
この城は、そもそも、室町時代に横山丘陵という更新世の丘陵の端っこに築かれたもの。それを光秀が大規模な石積みのお城にしたのでした。
光秀が主人だったのは、たったの3年間。江戸時代を通じて、いろんな殿様の城下町であり続けた福知山だけども、たった3年間の城主、光秀の存在感は、すごいものがありました。
今朝もまた、勉強になりました。世の中知らないことだらけ。
さあ。今日のお仕事も、知らないことを知りに行くのであります。そろそろ、出発。