浦戸、中坂隧道〔6114〕2020/01/11
2020年1月11日(土)晴れ
今日は土曜日。お昼からは仕事になってたりするので、朝、走ってきました。今日は山ではなくって、平地RUN。平地を長い距離、のったり走るというの、やってみたかったから。
家を出て東へ。青柳橋を渡って五台山北麓。ずうと東進すると、介良。介良富士北麓を更に東進して、潮見台の登り口を過ぎると、国道55号と海沿いの黒潮ラインを結ぶ道路に出るので、それを南へ。トンネルを抜けて稲生。稲生を南へ突っ切り、蛸の森トンネルというトンネルを抜けて更に南下したら黒潮ラインに突き当たります。
今日はそこを右折して、西へ走る。黒潮ラインをひたすら西へ走る。どんどん走ると、十市を通って三里。三里を抜けると、種崎。そして浦戸大橋。
浦戸大橋を駆け上がり、絶景の海を見下ろしながら渡って、そして下る。
ここまでで、21kmくらいでしょうか。これくらいの距離を2時間ちょっとで走るのは、そんなにキツくはないっすね。足にも余裕がありました。でもこっからなんでしょうね、マラソンでキツいのは。さて。
浦戸大橋の浦戸側、昔料金所があったところから、浦戸の町へと降りていく小さな径。それを下ると、浦戸小学校側と浦戸の町をつなぐ切り通しになったところへ、出ます。ここ。雰囲気は抜群の切り通し。
浦戸の町の路地を歩く。浦戸トンネルの方向へ歩くと、小さなトンネルへと出ます。せいぜい自転車かバイクが通れるくらいの小さなトンネル。。それが中坂隧道。このトンネル、今はこんな感じでコンクリートでできてるけど、最初に掘られたのはいつなんだろう。戦前であるのは、間違いないようです。
浦戸大橋ができるまで、高知市内から桂浜へ行くには、浦戸トンネルを通り、浦戸の町を抜けて行ってました。その浦戸トンネルは昭和19年竣工。
浦戸トンネルの場所はここで、この中坂隧道は、ここ。切り通しになってるのは、ここ。
浦戸の街は、海の街。だから、船や舟による往来が中心であり、陸上交通は重要ではなかったと思われます。それが、明治になり大正になり、昭和になって、陸上輸送の重要性が少しづつ増してくる。
たぶんそんな時代に、大八車とかで荷物を運べるように、切り通しが切られたんではないだろうか。この隧道が掘られたんではないだろうか。切り通しは、坂道になってるけど、隧道は平坦だ。
歩いて行く分には、このトンネルのすぐ上に道があって、そんなに登らんでも往来できます。だから、人が歩くためのトンネルでは、ない。たぶん荷物だ。
そして太平洋戦争中は、このトンネル内は軍隊の資材庫に利用されて一般人は通行止めとなり、この上の山道が迂回路になってたといいます。
浦戸には、以前も書いたけど、回天・震洋の基地がありました。戦争末期、米軍上陸に対抗するための秘密兵器、特攻兵器が、浦戸を中心に配備され、兵隊さんが集まってたという話。
昭和19年に浦戸トンネルが抜かれた、というのも、そんな事情が関係してるのかも、知れません。
どんな事情があったのか。何の為にいつ掘られたのか。結構謎が多い、この中坂隧道。映画「いけちゃんとぼく」のロケでも使われてますよね。
浦戸の町と浦戸小学校の間には、浦戸トンネルがあり、中坂隧道があり、切り通しがある。
その理由は、わからない。