朝倉神社と赤鬼山〔605〕2004/12/11
2004年12月11日(土)あづい~!
今日の高知も快晴。と、申しますか、初夏のような陽気に包まれちょります。ギラギラとお日様も照りつけよりまして、日向におりますと汗が噴き出して来るようなお天気です。12月とは思えませんな。
で、今日の午前中、ひまわり太郎はいつもの様に鏡川遡行コースをたつくって参りました。天神大橋から柳原橋、月の瀬橋、新月橋を抜けますと、正面に2つの小高い山が見えて来ます。左手の山は、幾度かこのにっこりでもご紹介しました朝倉城のあった山。戦国時代、土佐の覇権を争った本山氏の根城ですね。右手の山は「赤鬼山」。
この山は、古来、神の山として信仰を集めちょったようです。朝倉神社のご神体は、この山なのであります。
今日は、鏡川橋から朝倉駅方面に走りまして、この朝倉神社をお参りしてきました。参道には杉の古木が立ち並び、その由緒を感じさせてくれます。旧国道から入ったすぐのところに、明治14年に建てられた大きな石の案内看板があります。
「定」と大書きされた左には、車馬の乗り入れを禁ずる旨等の注意書きが彫られちょります。
さて、写真は、その朝倉神社の社殿。この後ろに写っちゅう山が「赤鬼山」。天津羽羽神のヒモロギ(神体山)として、歴史以前からこの山全体が宗教の対象と畏敬されちょったのだそうです。天津羽羽神は、後の世に遷座されたり分神されたものではない、太古からここに鎮座しちゅうという由緒正しき神様なのであります。
この朝倉神社はもちろん延喜式の式内社。県内でも有数の古く由緒ある神社ですね。
この赤鬼山には、「朝倉古墳」という大きな石で組まれた古墳があります。この山には、古代の土佐の国の大きな勢力の一つが存在したのでありましょう。