水の空間〔5948〕2019/07/29
2019年7月29日(月)蝉の声
月曜日。昨日は暑かったっすね。いや、暑かった。夜も暑かった。扇風機、起きるまで回しっぱなしで寝てました。夏はこうでなくっちゃね。朝っぱらからの蝉の声も、夏らしくってよろしい。
一昨日、住吉野の田んぼ風景のこと、書きました。香長条里に沿ってないからこそ美しい、カラフルに織りなす田んぼ。すると、高校のクラブの大先輩から、とても興味深いご示唆を頂戴しました。かつての地形のこと。
地理院地図の治水地形分類図からの、ご示唆。治水地形分類図には2種類あって、普段見るのは更新版。これ。
でも、治水地形分類図には「初版」というのもあって、それがこれ。まだ長蛇技術などが進展してない時代のものだから、あまり見てなかった、この「初版」からの推測が、そのご示唆でした。
まだ調査が進んでなかったからこそ、調査が容易な、つまり痕跡がハッキリしている旧河道が、そこには表示されてます。そう。古い古い物部川の流路。ひょっとしたら、条里制が施かれた8世紀初頭頃、そこは入り江みたいになってたのではないか、という話ですね。
そう。もし、入り江みたいになってたとしたら、もしくは物部川の伏流水が湧き出して河川みたいになってたとしたら、そこに条里制に基づく田んぼなんぞ、できようもなかった訳だ。
北側が船岡山。鎮座まします住吉大明神。
船岡山という名称は、その山が船のような形状だからとも言います。そして住吉の神様。すみよし。すみのえ。大阪の住吉大社がその元々。そこが澄んだ入り江であり、大和朝廷の外交の港であったことから神様が祀られるようになったのが住吉大社。
一昨日の場所は、その標高や旧河道の大きさなどから、大きな船があがってくる入り江ではなかったと思うけど、海につながる河道があったのは、事実であって、7~8世紀の景観と、そこに祀られるようになった住吉の神様には関係があるのかも、しれません。ないのかも知れんけど。
南路志によると、その住吉野が茅野であった頃、草刈りをしていた男に「久しく社がすたれ、埋神になっている」と住吉大明神のお告げがあったので、山の南麓にお宮さんを建立した、とあります。つまり、古い古い海の神様の存在が、そこにあるようなことを示唆しているのではないか。
と、まあ、いろいろ考えながら地理院地図を見る。明らかに、現在の田んぼの形状は、旧河道の流路に規定された形状となってるのが明白で、面白いですね。条里制が施かれたとき、ここは、田んぼができるような土地ではない、水の空間であった。
今朝の写真は、会社、本社棟2階から西の方角を撮影したもの。この十字の場所から。
そう。この界隈も、条里制を無視した区画となってます。
治水地形分類図を見ると、こう。ここは、条里制が施かれた当時、物部川が複雑に流れる河川敷や中洲のような場所であったから、条里制とは関係ない、水の空間であったのでありましょう。
自然地形と人間の営み。
自然と折り合いをつけながら、自然の恵みを享受しながら、人間は生業を営んでいく。さあ。今週も自然の恵みを皆さんにお届けする仕事を頑張りましょう。
暑いけど、暑いのが幸せ。