ダンモ・ビータ・ルービ〔5863〕2019/05/05
2019年5月5日(日)晴れ
とっても良いお天気。こどもの日。海は大潮。こんな日ですが、朝は会社に出てきている、私。でも、お昼はこんなこと、やってます。お客様の関係でご依頼を受けまして、こんなこと、やってます。こどもの日にね。TSUTAYA中万々店様で。10連休のみなさんは、そろそろ連休疲れもあることだと思います。なので、空調の効いた静かな本屋さんで、脳みそと身体を休憩させる、というのも良いのかも知れません。
僕が案内人をさせて頂いたブラタモリ高知編が放映されたのが、2017年9月30日。もうね。そんな昔になるんだ。時の流れに身をまかせ~てな感じですが、ホントにこの歳になると、時間が経過するのが速い速い。みなさんはいかがですか?
そもそもどうして僕がブラタモリの案内人となってしまったか、等々については、まあ、ネタバレになるので書きませんが、この「にっこりひまわり」が重要な役割を果たしたのは間違いないですね。土佐の歴史と地学ネタについて言えば、自慢ではないが、しつこいくらいに書いてきてますきんね。特に地学ネタは、読んでるヒトが、すーっと向こうの方へと引いていく感じが堪りませんでした。でも、そのおかげてブラタモリだ。
あの放映の中で、僕が、大学のサークルでタモリさんの後輩である、と話をする場面がでてきます。そう。一昨日のにっこりにも書いたように、僕は、モダンジャズ研究会にも在籍してました。タモリさんから言いますと随分と後輩になるので、まったく接点は無かった訳ですが。
うちの大学のモダンジャズ研究会は歴史があって、プロのミュージシャンも数々と輩出したりしてるのですが、僕はそんな中の、末端の末端の末端の末端。そもそも入会したのは、一年生の夏も終わってからだったと記憶してます。
高田馬場に今もある、ビルの地下の薄暗いジャズ喫茶。そこに、結構入り浸ってた、私。暗いね、なんか。僕の黒歴史。そこに、モダンジャズ研究会の連絡ノートが置いてありました。
あるとき、店の壁に、「ドラマー募集 初心者歓迎」と書かれたビラが貼ってあるのを発見し、意を決して行ってみたのが一年生の秋のこと。
今でも覚えてるけど、「初心者歓迎」と書いてあったので、「初心者」です、と言うと、ジャーマネがビックリした顔で「本当に初心者なの?」と言われました。そう。僕はSAXは吹いてたけど、ドラムは初心者。それでも、足らなかったドラマー人材の中で、C年の2つのコンボを受け持って、精進?したことでございました。楽しかった~
ここでダンモ用語。
そう。ブラタモリでも「ダンモなんです」という発言があったと思うけど、モダンジャズ研究会は通称「ダンモ」。なんでも、適当にひっくり返して読むのがあの頃のバンドマン用語でした。
演奏旅行は、旅をひっくり返して「ビータ」。マネージャーは「ジャーマネ」。ビールは「ルービ」で、彼女のことは「チャンカー」でしたね。他にもいっぱい、ここには書けないような表現もたくさんあったけど、そんな感じ。
夏合宿で、一年生は局部にキンカンを塗られるという儀式があった。ありました。それは「キーム」と呼ばれてたけど、何を逆さにしたのはか、よくわからんかった。因みに僕は秋に入会したので、その儀式は免れてます。みんな、気付いてないけど。ふふ。
あと、数字をアルファベットのドイツ語読みで、言う。
1は、Cで、読み方はツェー。2がDで、デー。3はEで、本当はエーなんだけども、業界読みではイー。4はF、エフで、5がG、ゲー。
一年生はツェー年。
飲み屋さんでお金を払う時、一人2,500円ね~、というのを一人デーゲーね~、と言う。
なんか、独特でした。高知へ帰ってきて、昔からのバンドマンの方が、ジャズをズージャ、トランペットをパツラと言うてたけど、ダンモでは、それ、使ってなかった。流儀というものがあるんだ、たぶん。
タモリさんに出会い、あの頃のことを思い出しました。タモリさんは、今も、ダンモのOB会を何よりも大切にされているとのこと。自分のルーツ、ということだと思います。
さて。どんなことになるかわからんけど、行ってきます。
こんな風に、僕のGWは過ぎてゆく。