蒲田行進曲〔5848〕2019/04/20
2019年4月20日(土)晴れ
今朝は東京。昨日のJAL一便に乗ってやって来ました。で、今朝のJAL一便で帰ってます。今、飛行機の中で、これ、書いてます。
ちゃーんかちゃっちゃー ちゃちゃちゃ ちゃーんかちゃっちゃー ちゃちゃちゃ
ちゃーん ちゃーん ちゃーかちゃっちゃっ ちゃーーん
蒲田行進曲。つかこうへいさんの戯曲で有名だけども、僕は映画でしか見てません。あの映画の舞台は東映の京都撮影所で、蒲田ではありません。この辺、少しややこしい。あのテーマソングは、大正9年から昭和11年まで東京蒲田にあった、松竹キネマの蒲田撮影所の所歌でもあったものらしい。だから蒲田行進曲なのか。
以前、「小沢昭一の小沢昭一的こころだー」というラジオ番組、ありました。夕方、外回りから会社へ帰る頃合いに毎日やってたと思う。その番組の中で、小沢昭一さんが時々語ってた、蒲田で過ごした少年時代の話。
小沢昭一さんは、昭和4年、蒲田の写真館の一人息子として生まれたそう。賑わいを極めてた蒲田撮影所には、大物俳優さん、映画関係者がたくさん出入りしてて、とにかく賑やかだったそうだ。そんな中で少年時代を過ごしたのが、のちの小沢昭一をつくりあげていった、というのは有名な話ね。
蒲田といえば京急蒲田で、まあ、キレイな駅になったもんだ。長いこと、工事やってましたもんね。駅前の路地みたいなところにローカルな立ち喰いそば屋さんが、ありました。そこで食べた天ぷらそば。今もあるんだろうか。たぶん、駅がキレイになってからは見当たらないような、気がします。今朝は、京急蒲田駅の美しいエスカレーターの前にある富士そばで、コロッケそば、食べてきましたね。朝っぱらからね。おいしかったです。東京名物コロッケそば。
で、ここ。
ここに、松竹キネマの蒲田撮影所があった。大正9年から昭和11年まで。昭和11年というと、1936年。早速見てみよう、地理院地図。
今、僕が立ってるのが、この十字の場所。ここに、ここが蒲田撮影所であったことを記す説明板があります。同じ場所の1936年の航空写真が、これだ。うーん。よくわからない。この南の空き地に、撮影所があったんでしょうかね。取り壊された直後なのかも。ともあれ、ここがキネマの天地であったのは、たったの17年間。その間をここで過ごした小沢昭一は、とても幸せだったのかも、知れません。
昨夜は蒲田のホテルに泊まってました。朝の飛行機に乗るのに近いから。部屋は4階。窓を少し開けて寝たんだけども、朝まで、前の通りから賑やかな男女の声が響いてくる町、蒲田。金曜の夜ということもあったんだろうね。繁華で猥雑な雰囲気が、窓の隙間から入ってくる、良い夜でした。
朝、ここに向かってたら、酔っ払いが救急車に運ばれてました。蒲田は、今もそんな場所。日本は今もそんなにも、猥雑で楽しい。
今、飛行機の窓からは素晴らしく美しい富士山。そしてその背後にアルプス。日本はこんなにも美くも、あるのに。
今日は会社に帰ってお仕事。実は今日は、営業が全員集合して、弊社青汁「菜食健美」の一斉拡売イベントをやることになってます。宅配営業担当でないメンバーも、そして僕らも全員で。エリアを決めて、みんなで、一軒一軒のご家庭を訪問して、ご案内して歩く。こうやって、全体で取り組み一体感を醸し出す。そんな試み。なんか、今からワクワクするぞ。どうなることやら。