道〔5838〕2019/04/10
2019年4月10日(水)雨
いつものように早朝出勤して、一仕事済ませてから、香川へ。打ち合わせがあって、坂出の西日本事業部へと向かっています。国道走って。時間が早いので、大好きな国道32号を走ってきました。
今日の香川は、なんか、時化もよう。冷たい風が吹きすさぶ。
写真は、国道32号、大歩危。高知と徳島の県境を越えて、すぐ。この信号を曲がり、橋を渡るとJR土讃線大歩危駅。
ここに、昔から「土佐食品」「土佐屋」というお店屋さんがあります。徳島県なのに、土佐食品。これはたぶん、徳島県人にとって、この道が土佐へつながる土佐街道だから、土佐食品なんだと思いました。違ってたらゴメンなさい。
ここに道路が建設されたのは、明治後期。幾度かご紹介した、大久保諶之丞さんの尽力で進められた「四国新道」が、現在の国道32号線へと発展してきてます。この道が、阿波から土佐へと向かう道の、入り口となった訳だ。
ここに土佐食品があるのは、旧池川町(現仁淀川町)に伊豫屋スーパーという食品店があったのと同じ理屈でしょうかね。池川の町は、かつて、高知と松山を結ぶ街道の結節点でした。土佐からすれば伊豫への道の入り口だったから、伊豫屋スーパーだったのかも知れません。ひまわり牛乳の販売店もやってくださってました。伊豫屋スーパーさん。
「道」というのは、古い古い時代、外の世界、未知の世界と、自分たちが暮らす既知の世界、安心できる世界とを結ぶものであった。知られざる霊的な外界へつながる世界。自分が暮らす、地域の保護霊によって守られている土地から、見知らぬ、地域の保護霊によって守られていない場所へ行くことは、大変なことだった。そこで、保護霊に守られた場所から外に出る際には、異族の人の首を手に持ち、その呪力によって邪霊を祓い清めながら進んでいく必要が、あった。
首を持って、歩く。「道」という文字は、文字通り「首」と、歩く、行くという意味のあるしんにょうを組み合わせた文字であり、殷の時代の中国で、そういう成り立ちによってできた文字である。と、偉大なる白川静先生が解いておられます。
国境、県境を越えて他所の世界へつながる「道」。「土佐食品」さんを見て。そんなことを連想する。
白川静先生の業績には、いろんな分野ものが、あります。もちろん白川漢字学が中心とはなるけど、中国の古典や日本の古典といった分野でも、重要な仕事をしてこられている。その中のひとつが、今話題の「万葉集」ね。文庫本にもなっている「初期万葉論」「後期万葉論」を、今、読んでます。万葉集のそもそもを勉強するのなら、僕なら、まずはこれだ。
万葉集の歌を、それがつくられた時代の、神、呪詛と政治、為政者、人々の生活の関係から読み解く。柿本人麻呂や山部赤人は、たんなる叙景の歌なんか詠んでない。というとても論理的で説得力のある議論を展開してまして、碩学や権威者の論考を見事なまでにぶった切っていく白川先生は、すごい。
そのぶった切る対象としては、今回の新元号「令和」にも深く関わったと言われる万葉学者、中西進氏も例外ではない。
「初期万葉論」を読んでいくと、こんな文章に出くわす。
「この四首の解釈について、中西説をいくらか詳しくみてきたのは、万葉学のいまの方向を知るためであるが、新しい万葉学の志向するところがこのような方向にあるとすれば、われわれはその幻視と幻聴に惑わされぬよう警戒する必要があろう。」
ね?
すごいでしょ?なんか、すごい。
いや、今日のテーマはそこではありませんでした。万葉学については、また、改めます。
「道」。
道は、自分たちの保護霊が守ってくれる場所と、外界をつなぐもの。土佐食品や伊豫屋スーパーは、その世界をつなぐ場所で商いする為に、そんな名前が付けられたのかも知れない。などと、見当違いかも知れない妄想を、よくもまあ朝っぱらから巡らしてますな。
そんなことより仕事仕事。