歩きスマホは危険です〔5825〕2019/03/28
2019年3月28日(木)薄曇り
昨夜は高知市内の某ホテルビヤガーデン開きで、若手の社員さんたちと飲みました。まだ飲めん年齢の子もいましたけど、美味しい料理で楽しい時間を過ごさせて貰い、エネルギーを充填しました。物理的にも精神的にも。いや、楽しかった。でもね。美味しい料理満載のバイキング形式は、ダイエットの強敵。ああ。かなり食べ過ぎてしまった。アヒージョ、美味しかったです。ああ。
ここは日章小学校。弊社は、この日章小学校の校区に所在します。で、日章小学校では、今もこうやって勉強に励む二宮くんが薪を背負って歩いてます。
今はもう、あまり見ることもなくなった二宮金次郎像。このにっこりでご紹介したことあるのは、高知市の行川小学校と、香川県与島の休校(廃校?)になった与島小学校の金ちゃん。
そしてここ、日章小学校。
この日章小学校の像には、昭和16年8月に建てられたとの銘があります。そう言えば与島小学校の金ちゃんもそうだった。昭和16年。つまり。そんな時代背景の中で盛んに建てられた、二宮金次郎像という訳だ。かなり国策の意図が感じられます。質素倹約。勤労奉仕。お国のために真面目に勉強しましょうね。
そんな時代。全国で少年二宮の生い立ち、努力などが喧伝され、推奨されていったのでありました。ウィキを見てみると、昭和15年頃にかなりの数の金ちゃん像が量産された、とあるので、その量産像のひとつかも知れませんな。
経世済民。その人生を見てみると、財政再建コンサルタントのような仕事をしてます。篤農家でもあり、かなり頭は良くて人格者であったのは、間違いない。
子供の頃、川の氾濫とか親の逝去などで苦労を重ね、そんな苦労の中で勉強に励んだのは事実らしい。らしいけど、昨日の白太夫伝説の話ではないが、後世になってかなり尾鰭がついた伝説も、あるみたいですね。白太夫伝説が、中世の「菅家瑞応録」という本によって尾鰭がついて広まったように、金次郎伝説は、明治14年に発行された「報徳記」という本で広まったみたい。薪を背負って本を読みながら歩く、というスタイルも、その本が初出らしいし。
この像を見て、すぐに思いますよね。「歩きスマホは危険です」と。僕は、すぐ歩きスマホを思い浮かべてしまいました。
どうやら同じことを思った人が居たようで、ウィキによりますれば、2016年に日光市立南原小学校に寄贈された像は、なんと、座像になっているんだそうですな。そもそもの、働きながらも勉強する、という趣旨からは外れんのだろうか。仕事中に、仕事をサボって読書している、みたいに見えんのだろうか。などといらん心配をしてしまいました。
そうそう。二宮金次郎は、実は二宮金治郎が正しくて、二宮尊徳はにのみやたかのりと読むのが正しいようで、伝説、伝承は本人が与り知らないところで一人歩きしていく、という例がここにも見受けられます。どうでもいいけど。